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マット・バスビーによるチーム立て直し

 チームはかろうじて1部にはいたものの、スタジアムは破損し、1万5,000ポンドの負債を抱え、経営的にも苦しいクラブを立て直すのが、マット・バスビー監督。
 35歳の、冷静で、柔和なバスビーは、いつもトレーニング・スーツを着て、グラウンドに出た。プレーヤーと話し、技術指導し、戦術を組み立てるだけでなく、彼はクラブの各分野の仕事にも目を配った。そして、ことチームと選手に関する件については、会長やクラブの理事が口をはさむことを拒否し、自分のやり方を通した。

 大戦直後、同じマンチェスターにある、マンチェスター・シティ(1887年創立)のメイン・ロード・スタジアムを借りなければならなかったが、バスビーのチームづくりのうまさは、1947〜48年のリーグ第2位、FAカップ優勝という成績にあらわれた。
 このFAカップ決勝の相手となったブラックプールには、有名な右ウイングのスタンリー・マシューズやCFのモーテンセンがいたが、デラニー、モーリス、ローリー、ピアソン、ミッテンらのユナイテッドのFWは、見事なパスワークで快勝した。彼らの攻撃は当時“ドリーム・マシン(夢の機械)”といわれ、両チームの攻撃的プレーは、戦後最高の名勝負のひとつと評された。

 イングランド・リーグに加盟しているクラブは、プロフェッショナルのチームの試合によって利益をあげることを目的とするリミテッド・カンパニー(有限会社)。ヨーロッパ大陸や南米のクラブ・チームのように、多くのアマチュアの会員を抱え、いくつかの他のスポーツの施設を持ったりするのとは違っている。
 したがって、強くなること、いい試合を見せること、そのため、いい選手を揃えることが第一だ。
 クラブの収入は、まず入場料収入が基盤だから、収容力の大きい競技場を持つクラブは、高い給料やトランスファー・フィー(移籍料)を払うことも可能だが、小さな町の小さなスタジアムを本拠とするクラブは、高額プレーヤーは長く雇っておけない。
 3部や4部のクラブは、いいプレーヤーが育てば、大クラブに高く売ることで経営収支がよくなる。一方、大クラブの監督やスカウトマンは、下部チームにいる好素材を発見することも、自分たちのクラブから、はえ抜きのプレーヤーを育てるのと同じように大切となる。

 バスビー監督と彼のスタッフは、好素材を発見し、チームに受け入れるのが上手だった。ダンカン・エドワードは、そんなバスビーの仲間がウォーセスターシャーの地方リーグで見出した偉材、15歳ですでに大人のようにプレーできるといわれたのだった。
 大戦前の凋落から、戦後、盛り返したマンチェスター・ユナイテッドを、バスビーは本格的に骨格を組み直し、1955〜56年、56〜57年と2シーズン連続リーグ優勝に導いた。


(サッカーダイジェスト 1989年「蹴球その国・人・歩」)

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