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ミュンヘン空港の悲劇

 1950年から始まった欧州チャンピオンズ・カップ。各国のリーグ優勝者がKOシステムでNO1を争うこのカップ戦に、イングランドの1954〜55年チャンピオン、チェルシーは参加しなかったが、バスビーのマンチェスター・ユナイテッドはこのトーナメントに参加、欧州への意欲をみせた。はじめの56〜57年シーズンは準決勝でレアル・マドリー(スペイン)に敗れた。
 次の57〜58年シーズンも、1、2回戦を勝ち、準々決勝の相手、ユーゴのレッドスターにも勝ったのに、その第2戦、アウェーのベオグラードからの帰途、1958年2月6日、ミュンヘン空港で悲劇が起こった。

 凍った滑走路から出発しようとした飛行機が離陸できず、機は滑走路を越えて垣にぶつかり、家屋に衝突して大破。8人の選手とコーチ、トレーナー、事務局長、それに随行の記者8人が死亡した。
 ロジャー・バーン、G・ベント、E・コールマン、M・ジョーンズ、D・ペッグ、T・テイラー、W・フェランとダンカン・エドワードの8選手を一挙に失ない、J・ベリー、J・ブランチフラワーの2選手は生命は助かったものの二度とプレーできなくなった。
 バスビー監督も負傷した。
 所用のため、残っていて難を逃れたアシスタント・コーチのマーフィーが次の試合から指揮をとったが、レギュラーのほとんどを失なったチームの編成は大変だった。
 レギュラーで残ったグレッグ、フォークス、B・チャールトンを中心に、FAカップの決勝まで進み、欧州カップは、準決勝はホームでは勝ったが、アウェーで敗れ、得失点差で退いた。


(サッカーダイジェスト 1989年「蹴球その国・人・歩」)

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