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2000年プロジェクト

 毎年、サッカーシーズンは、5月に始まり11月に終わる。ノルウェーも、11月末から4月までは、オフのトレーニングや練習試合をインドアで続けてきたが、1984年の年末から翌85年にかけて、公式の冬季トーナメントを室内で行なうことにした。それは、トレーニングだけではなく、実戦形式、それも“タイトル”をかけた試合によって、効果をあげようとしたためである。
 16チームを2組に分けてリーグ戦を行ない、その1位同士が決勝を戦う。優勝チームには賞金をつけることにした。

 その2年後(1986年)、ノルウェー・サッカー協会は「2000年プロジェクト」を打ち立て、「すべての市民を巻き込んでのサッカー興隆」を図ることになった。
1)年少期からボールに親しむこと。
2)夏の半年間だけではなく、冬にも(室内で)サッカーのプレーを続けること。
3)プロ化を図り、トップ・プレーヤーの海外への流出を止めること。
4)レベルアップのために海外へ出かけて試合を積むこと。世界に目を向けながら、ノルウェーのサッカーに適した戦術を学ぶこと。
 などが、プロジェクトの方針として取り上げられた。

 サッカーの振興策はどの国でも同じようになるのは当然だが、総人口450万人というこの国では、「市民すべてをサッカー狂にしてしまうのが、いいことか」などという論もあったらしい。それはともかく、彼らは決めた政策を次々に実行していった。

 すでに、少年少女への浸透は成果を挙げつつあった。1972年以来始まった、7月の最終週にオスロで開かれるノルウェーカップ(国際少年サッカー大会)は、1985年には10歳から19歳まで、合計2万2000人の少年少女が参加し、隣国スウェーデンのヨテボリで開かれるゴチア・カップと並ぶスカンジナビア半島最大の大会へと成長した。
 1988年から、16歳以上のプレーヤーは登録の際に100クローネ(1600円)と登録書を収めることになった。これには、傷害保険の加入金やサッカー協会の公報などの費用が含まれている。この年4月の登録人口は8万人に達した。ノルウェーの総人口445万人に対する1.8パーセントは、日本なら216万人もの大きな数字になる。


(サッカーダイジェスト 1993年「蹴球その国・人・歩」)

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