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プロ化と促進
一方、12チームによるトップリーグは、下部に2つの2部リーグ、その下に6地域に分かれる3部と、しっかりした組織のもとに5〜11月にかけてリーグ戦を行なってきた。
何人かのノルウェー選手が、イングランドのプロリーグで活躍していることもあって、冬の間も(屋外のサッカーはなくても)イングランドのテレビ放送が、お茶の間の人気となることもあった。夏のノルウェーリーグは、すっかり市民に定着、オスロのウレバル競技場や、トロンハイムのレルケンダール競技場などは、2万8000人の観客で埋まることも増えてきた。
1987年には、初めて引き分けなしのPKによる勝敗決定をリーグに導入した。リーグの活性化を図ったこの引き分けなし(90分ゲームでの勝ちは3、PK勝ちは2、PK負けは1、PK戦なしの負けは0という勝点制)の制度は1年で廃止されたが、勝者の勝点3はそのまま残すことになり、これも改革に積極的な協会の意欲の表れの一つだった。
1991年2月の年次総会で、92年からのプロフェッショナル導入が決まった。現在の1部リーグに所属する最古のクラブ、コングスビンゲルの創立が1892年(明治25年)だから、100年の歴史を経てのプロ化だった。
さしあたって「ノン・アマチュア」で登録されているプレーヤーがプロ化の対象となるが、これによって選手たちはクラブからのサッカーの報酬だけで生活でき、これまでのように別の職業を持たなくてすむと、関係者も喜んだ。ただし、自国のプロ選手育成を図るため、外国人選手を4人まで認めていたこれまでの規定を、3人に減らすことも決まった。
ノルウェーの各都市の人口は、首都オスロでようやく45万人、トロンハイムが13万人、クリスチャンセンの故郷スタバンゲルで9万人、1部リーグのホームタウンのなかには2万人クラスの街もある。
北緯70度、世界で最も北にあるトップリーグのクラブのある街、トロムゼで5万人弱――入場料収益を基礎に考えれば、これだけの人口でプロチームを維持することは難しい。この点に、これまで北欧のサッカーは盛んであっても、それをセミプロに止めていた理由があった。しかし、スウェーデン(人口850万人)デンマーク(513万人)に次いで、ノルウェーもついにプロ化に踏み切ったのだ。
これら両国もプロ化によって、ヨテボリ(スウェーデン)ブロンビー(デンマーク)などの強いクラブが生まれ、レベルアップも著しい。もちろん、選手たちの報酬はイタリアやイングランド、あるいはスペイン、ドイツなどに比べれば低いのは当然だ。
したがって、選手が国内リーグや代表チームで有名になって、海外のビッグ・クラブから誘われれば、引き止めることは難しい。少なくとも、規定のワクに縛られることはなく(経済基盤の差はあっても)普通の土俵での選手の獲得、放出になることは大きなメリットだった。
(サッカーダイジェスト 1993年「蹴球その国・人・歩」)