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再び黄金期へ 〜1960年代のマンチェスター・ユナイテッド〜

 ミュンヘンの事故は、オールド・トラフォードの痛手だけでなく、イングランド代表チームにもダンカン・エドワードら3人を亡くしたことで、大きな戦力ダウンとなった。
 当時のイングランドの専門家たちは、長身で技術に優れたエドワードに、とても大きな期待をかけていたのに…。
 しかし、バスビーはくじけなかった。最高額を支払ってでも、いいプレーヤーを他のクラブから獲得した。
 1962年8月には、イタリアのトリノからデニス・ローが戻った。11万5,000ポンド、世間を驚かせるほどの高額だった。スコットランド人のローとタイプの合うクレランドもグラスゴー・セルチックからやってきた。
 次のシーズンのはじめには、北アイルランドの17歳のジョージ・ベストが加わった。次の年の4月にベストがデビューすると、ボビー・チャールトンとロー、ベストの、見事な組合せができあがった。

 64〜65年シーズンの優勝のあと、1年おいて66〜67年シーズンにも優勝。ヨーロッパへの挑戦の態勢は整った。
 欧州チャンピオンズ・カップは1、2回戦、準々決勝と順調に進み、準決勝の相手はレアル・マドリーだったが、地元オールド・トラフォードで1−0の勝ち、アウェーは3−3の引き分けで、かつての“王”を退け、決勝はエウゼビオのいるベンフィカ・リスボン(ポルトガル)を延長の末に破ったのだった。バスビーのマンチェスター・ユナイテッドは欧州制覇の望みは見事成し遂げた。


(サッカーダイジェスト 1989年「蹴球その国・人・歩」)

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