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アフリカで最も古いサッカー国

 南アにフットボールが持ち込まれたのは1860年代というから、おそらくアフリカでは一番早かっただろう。
 もちろんスポーツは生活に余裕がなければ普及しないから、まず豊かな白人社会からとなる。1860年代に、サッカーともラグビーとも定かにわからぬフットボールが持ち込まれたポートエリザベスやケープタウンでは、初期にはラグビーの方に人気が集まったという。それでもブーア人(オランダの農民)が開拓したナタール州にナタール・フットボール・アソシエーションが設立されたのは1882年(日本では明治15年)だから、英国以外でのFA設立としてはずいぶん早い。オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州にもFAが創られていて、南半球の英国植民地がヨーロッパ各国よりも一足早いFA創設だった。
 ケープ州にも“協会”が生まれ、両州を軸に南アフリカFA(1892年)。ヨーロッパのサッカー大国、ドイツが1900年、イタリアが1898年、スイスが1895年だから、これら諸国の先輩にあたる(日本は1912年)。
 英本国やヨーロッパ大陸から遠く離れた南アには、国際交流のチャンスは少ないが、イングランドからイズリントン・コリンシアンズの来訪や、ボーア戦争のために派遣されてきた英国軍人の試合などがサッカーの新知識となって、技術はどんどん進んでいった。そのウデを試しにゆこうと大西洋を隔てた南米大陸へ代表チームを送ったのが1906年(明治39年)、日本では日露戦争の終わった次の年だった。
 南ア代表の最初の南米遠征は、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルと大西洋側の3強を回り、12試合をして1敗しただけという成績だった。サンパウロでパウリスタ選抜と戦い6−0で大勝したが、後のブラジルの“サッカー超大国”ぶりからは信じられないスコアといえた。
 近くに国際交流の相手が乏しい20世紀初めのアフリカでは、英本国との試合が大きな行事となる。ただし、こちらは代表チームもアマチュアだから、相手のイングランド選抜もアマチュア。従ってフル・インターナショナルではないから、イングランドでの反響も違うし、マスメディアの扱いも違ってくる。
 私は英国を宗家とする英連邦諸国で、同じ本家から伝わったフットボールがニュージーランド、カナダ、オーストラリア、南アフリカで、初期の英国系白人がサッカーよりラグビーの方に傾倒したのは、競技の性格だけでなく、英本国の代表チームと“対等”の試合やつき合いができたという点にあると思う。


(サッカーダイジェスト1992年5月号「蹴球その国・人・歩」)

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