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北米リーグでの南アのプレーヤー

 1980年、イタリアでのヨーロッパ選手権の帰途、アメリカ合衆国の首都ワシントンへ寄って、そのころ華やかに展開されていた北米サッカー・リーグのワシントン・ディプロマッツのゲームを見た。お目当てはヨハン・クライフだったが、そのときディプロマッツのメンバー表に“南ア出身”のプレーヤーがいるのに気がついた。
 ケン・マクゴジョアという長身の黒人選手は、その経歴によるとヨハネスブルグ近くのクルーガーズドープ(人口10万の金鉱山の町)の生まれで、ベノイ・ユナイテッドというチームでプロとしてスタート。1977年の人種混合の南ア代表チームに選ばれてローデシア戦に出場したとあった。
 アパルトヘイトの厳しい中で、サッカーはこうしたこともやっているのか――。というのと、彼らの仲間がアメリカやヨーロッパでプレーしているという事実に、あらためてサッカーの広さを知った思いがした。ケン・マクゴジョアは骨太で、私たちが持つ“バネのきいたしなやかさ”といった、黒人プレーヤーのイメージとは異なっていたが、広いアフリカにはこうしたタイプの選手も生まれるのかもしれない。
 アパルトヘイトが廃止されても、その後遺症はあるだろうが、500万人の白人と3千万人の非白人の共存という、アフリカでは特殊な人種構成のこの国は、私たちスポーツの語部(かたりべ)からみると、まことに興味のあるところ。
 もともと高い台地のために、温帯性気候であり、日本の3倍もある国土は鉱物資源の豊かさに加えて、多様な動植物の宝庫でもあるらしい。
 いわば未知の魅力を持つこの国が、新しい共存政策によって本当の“楽土”を築くことを、誰もが期待するだろう。
 ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸、アジア大陸と3つの大陸の人が生活する南アフリカ。そしてアフリカの黒人は9つの異なった種族で構成されているという。国内で話される主要言語だけでも11あり、ラジオ番組はこの11の言語をすべて使い、テレビ番組でも6つの言語を用いているという。
 こうした人種や言語の多様性は、かつては調和には難しいとされたが、実際はそうではない。そしてサッカーという人間の融合に最もふさわしい競技からみれば、多様な人種構成のこの国は、また素晴らしいチーム、素晴らしいプレーヤーを生み出せるに違いない。
 カイザー・チーフスはすでに3人の白人を加えてこの国のナンバー1チームを作りあげているが、これまでのアラブ・アフリカのチームと、また違った南アのチームが世界の目を集める日も遠くないはずだ。


(サッカーダイジェスト1992年5月号「蹴球その国・人・歩」)

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