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第1回五輪で非公式試合

 ギリシャにサッカーが伝わったのは1880年代。英国人の技師や船乗りが港町ピシウスや、首都アテネ、あるいは北のマケドニア地方のテッサロニキ(サロニカ)などの町の広場や、造船所のドックの近くなどでプレーするようになったからだといわれている。
 もともと古代ギリシャにはエピスキロスというボール・ゲームがあったとされているが、いまのところこのボール・ゲームがサッカーとどのような関わりがあるのか、よく知られていない。むしろ、モブ・フットボールと呼ばれ、ブリテン島でも16世紀ごろから大流行したフットボールが、FA創立(1863年)以前にもギリシャの大学生たちによって楽しまれていたらしい。この潜在的な力が、1880年代の英国人技師たちのプレーによって、各地での急速なサッカー普及に結びついたともいえる。

 クーベルタン男爵の提唱で始まったオリンピックが、第1回大会をギリシャのアテネで開催されたとき、非公式ながらこの地に在住の英国人を主体にしたチームと、はるばるやってきたデンマーク代表チームが試合を行なっている。スコアは詳(つまび)らかではないが、すでにこの競技がギリシャで普及し始めていたことを示すエピソードといえる。

 オリンピック発祥の地、ギリシャに敬意を持つIOC(国際オリンピック委員会)は、第1回アテネ大会、第2回パリ大会、第3回セントルイス大会と回を重ねたあと、第4回ロンドン大会(1908年)の2年前にアテネ特別大会として、オリンピックの“里帰り”を行なった。これによって、オリンピックをパリやロンドンに盗まれたというギリシャ人の感情を和らげようとしたのだが、このときにもサッカーはギリシャのアテネ、サロニカ、スミルナ(いまのトルコのイズミル)などの都市からチームが参加し、遠来のデンマークとともに試合をした記録が残っている。


(サッカーダイジェスト 1992年vol.68「蹴球その国・人・歩」)

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