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決勝翌日、帰宅の列車で天国の仲間の意見を思う
イチローの年間安打記録更新が日米で大評判になっている。いまさらながら彼のすごさと同時に、ベースボールが活字メディア、新聞とともに発達した歴史と、彼らが記録という伝説(歴史)を作り出す巧みさに思いを期すことになる。
大会終了後の楽しみ
さて、こちらは日米とその周辺だけでなく、世界の話題となった2002年ワールドカップの旅――。
目が覚めたら浜名湖だった。いつの間にかウトウトしていたらしい。2002年7月1日、ワールドカップ決勝の翌日、芦屋のわが家へ戻る新幹線の車中である。決勝翌日にもう家に帰るのも、ワールドカップの取材の旅では初めてのことだと思う。
前回のフランスでも、その前の米国でも、90年イタリアでも…たいてい帰国は決勝から2日くらい余裕を見ていた。それは一つには、1952年ヘルシンキ・オリンピックのとき、大会が終わった翌日のメーンスタジアムを訪れた朝日新聞の織田幹雄さんのレポートが頭に残っていたためかもしれない。
1928年のアムステルダム・オリンピックの三段跳び優勝者であり、日本のアスリート界の“神様”でもあった織田さんは、朝日新聞の看板記者でもあった。そんな大先輩を真似るだけでなく、現地で買った新聞や雑誌――スペインやアルゼンチンでは満足に読めないスペイン語のものも――を荷作りし、発送するだけでも半日はかかったから、日程には余裕をみていた。
キックとドリブルが80%
帰国してからそれらの荷をほどいて目を通しながら、ワールドカップをあらためて思い起こすのがこれまでの例だった。
これまでの例と言えば、自分の見たものを先輩や仲間に報告し、相手からはテレビで見た感想を聞かせてもらうのも楽しみだった。
78年にアルゼンチンから帰って、ベルリン・オリンピックのCF川本泰三さん(故人)に会った。「ドリブルのうまい(アルゼンチン)のと、良いシュートができる(オランダ)のが残ってドリブルの良い方が勝ちました」と言ったら、シュートの名人であった氏は「まあ、そういうところもあるやろ。もともとサッカーはシュート(キック)とドリブルが80パーセントぐらいだからね。近ごろのサッカーはその主要部でなく、残りの20パーセントをいじって何とかしようとする傾向が強いのと違うかな」と答えたものだ。26年前の話である。
フランス大会のあとで、岡田武史監督は「キックカに劣る」と言い、メディアは「シュートカの低さ」を指摘した。名人をはじめ、天国の仲間は今度の日韓ワールドカップをどう見たのだろうか――。
私のワールドカップ・ポースーワーテム(論記)も始めなければと思った。
(週刊サッカーマガジン2004年10月19日号)