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3週間と2週間の差?早く消えたジダンと王者フランス

4年前のエクスレバン

「4年前のきょうは、まだマルセイユにいたんだ」
 2002年7月2日、芦屋の自宅でふと思う。ブラジル対ドイツの決勝(6月30日)会場の横浜から前日に戻っていた。
 フランス大会の記憶が蘇ったのは、久しぶりにビゴの店のパンを貫いに行こうと考えたのが、マルセイユでのOさん宅の朝食の焼きたてのバタールにつながったのかもしれない。
 その98年7月2日は準々決勝と準決勝の間で試合がなく、私たちはTさんの車で日本代表のキャンプ地、エクスレバンを訪れたのだった。1次リーグで敗れ、すでにチームが去って静けさを取り戻した昔のサヴォア公園の温泉地まで、往復800キロのドライブは、強行軍ではあったが、小さな保養地に備わったスポーツ施設にあらためてこの国のスポーツの豊穣を実感した。
 2002年大会のキャンプ地に、と日本各地で整備された芝生のグラウンドがその町に根付いてほしいものだ。
 それはともかく、フランス大会の閉幕は7月12日。私たちはサンドゥニでフランスがブラジルを破って初めて王座に就くのを見た。右と左の2本のCKを叩き込んだジダンの迫力は素晴らしかったが、ロナウドが急に体調を崩してチーム全体が狂ったブラジルの変調にも驚かされた。


王者が消えたのは1週間の差

 日韓大会はそのフランスがジダンのケガとともに1次リーグで姿を消した。彼が所属する“白い巨人”のレアル・マドリードが、欧州チャンピオンズリーグ決勝でレバークーゼン(ドイツ)を2−1で破り、欧州ナンバーワンになったのが5月15日だから、ワールドカップの開幕までにわずか2週間しかなかった。
 これまで私が取材したワールドカップの開幕は1974年大会(西ドイツ)が6月13日。同様に78年(アルゼンチン)が6月1日、82年(スペイン)が6月13日、86年(メキシコ)が5月31日、90年(イタリア)が6月8日、94年(米国)が6月17日、98年(フランス)が6月10日。今回は極東の気候を考慮して、1週間早めたのだが…。
 ヨーロッパの長いシーズンの後、ワールドカップやEUROなどの大会までには最低3週間は必要と言われてきた。
 現在の最高のプレーヤー、ジダン。今度の大会は日本でも韓国でも暑さが欧州勢を苦しめたというが、開幕日設定も彼らのコンディションに響いたのかもしれない。ジダンは4年後の大会で本当に見られるのだろうか。1972年6月23日生まれの彼はドイツ大会では34歳になる(すでに代表引退)。マルセイユの町で見かけた、彼の大きな看板を懐かしく思い出した。

(週刊サッカーマガジン2004年10月26日号)

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