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左利きのワールドカップ得点王には特徴を引き出すチームメートがいた

 78年ワールドカップ・アルゼンチン大会で最も目立ったのがマリオ・ケンペス。黒い長髪を靡(なび)かせて疾走し、長い足を振って豪快にシュートした。6得点を挙げて得点王になり、アルゼンチンの優勝に貢献して最優秀選手に選ばれた。
 当時23歳の彼は、その6〜7年前から有望なストライカーとして期待されていた。19歳で74年ワールドカップ代表に選ばれて、この後、スペインでプレー。西ドイツ大会のシュツットガルトで彼を見たとき、スリムな若者がズカズカという感じで危険地帯へ入っていく姿に感心したことを覚えている。
 彼の特徴は左利きで、得意の角度に入ればすごいシュートを放つ。したがって、そのスペースを空けておくことが大切なのだが、メノッティ監督は大会初戦から彼をルーケと2トップで並べた。ルーケは反転して足元のボールを強くたたけるシューターだが、スペースを必要とするケンペスはトップの位置では相手の厚い守りに包まれて得点できなかった。


2列目でダイナミックに

 ハンガリー、フランスに辛勝し、イタリアに敗れた後、2次リーグに入って彼は生き生きとする。2列目に配置されたからである。初めからこうすればとも思うが、選手のことを十分に知っているメノッティでさえ、他のメンバーとの関係があって決めかねていたのかもしれない。
 2列目からダイナミックに動くようになり、ランの距離が長くなるにつれて彼の得点が増えた。センターフォワードでありながら中盤に引き、ときには自陣のゴール前でハンドしてPKを取られることもあった。が、ポーランド戦で2得点。1点目はヘディング、2点目はドリブルしてからの左足シュートだった。
 ペルー戦でも左足のシュートで2得点、そしてオランダとの決勝で先制点、1−1で延長となってから2点目を決めている。アルディレスやルーケといったチームメートが、彼がゴール正面から左寄りのスペースヘ走り込めるように協力したからではあったが、チーム随一のシューターをみんなで生かしたところにアルゼンチンの優勝があった。
 82年にはマラドーナとともに出場しながら、ケガのため十分働けなかったのは惜しい。79年にバレンシアの一員として来日したときのインタビューで、決勝の3点自を生む彼の最初のプレー(FKを前に蹴らずにサイドヘ流した)を褒めたら、あれは疲れていて休みたいからサイドヘ出しただけだと答えたので大笑いした。
 メノッティが優勝するために指導したのはフェアであること。ファウルされても仕返ししないことだった。全選手がそうだったとは言えないが、ケンペスは最も冷静でファウルはほとんどなかった。ストライカーとは、そうあってほしいものだ。

(週刊サッカーマガジン2004年11月30日号)

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