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パオロ・ロッシ、驚異の復活 『黄金のカルテット』を制す

黄金のカルテット

 ワールドカップ74年、78年の両大会で“らしくない”と評判の良くなかったブラジル代表だったが、82年のスペイン大会の直前には攻撃的なチームを作り上げた。現在の日本代表監督のジーコと彼を中心にしたソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾ(現鹿島監督)の中盤は『黄金のカルテット』と呼ばれ、見事な展開とフィニッシュを見せた。1次リーグ6組でソ連(2−1)、スコットランド(4−1)、ニュージーランド(4−0)を連破し、イタリア、アルゼンチンと同じC組に入った2次リーグでもトップ通過が期待されていた。
 その予想を覆したのがイタリア代表だった。4年前に新しいメンバーでベスト4まで進出したが、80年の八百長事件に関与したとの疑いでストライカーのパオロ・ロッシが2年間の出場停止。大会直前にようやく代表に合流して、1次リーグはさすがに調子が上がらなかった。チームは1組の3試合すべてに引き分けてようやく2位になっての上位進出だった。そのイタリアが、まず強豪のアルゼンチンを2−1で破った。守備に定評のある彼らがマラドーナを徹底的にマークして封じた(いまならイタリアにレッドカードが何枚か出ていたかもしれない)。ロッシは得点こそなかったが、動きがさえ始め、チームの攻撃は活発になった。
 1敗のアルゼンチンは3日後、ブラジル代表に1−3で敗れて敗退が決まる。ブラジルの先制点はジーコ。エデルのFKがバーに当たったリバウンドに飛び込んだ。そのダッシュの速さに私たちはパスの名手の顔でなく、ストライカー・ジーコの果敢さを見た。ただし、ジーコが続く2得点をお膳立てした後、彼に代わって出場した守備的MFバチスタがマラドーナに蹴られて負傷するのが、以降の戦いに響くことになるのだが…。
 イタリア対ブラジルはパオロ・ロッシの先制点に始まり、1−1で再びロッシがブラジルのDFのパスミスを拾って2−1。ファルカンの得点で同点になるが、CKからロッシが味方のシュートを足に当てて方向を変え、またも突き放した。
 すっかり調子の上がったロッシは、準決勝のポーランド戦(2−0)で2得点、決勝のドイツ戦(3−1)でも先制し、大会得点王(6点)となった。80年の欧州選手権のとき、大会中に八百長事件の裁判が行なわれ、多くのファンはロッシがそんなことをするハズがないと同情した。1956年9月23日生まれの彼は、クリスチャン・ビエリのようなタイプでなくスリムで華奢(きゃしゃ)な体つき。相手のマークから消えるうまさと、リバウンドに対する驚くべき感覚と、ドリブルで一気に攻撃の方向を変える能力を桧舞台で発揮して、サポーターのシンパティコ(同情心)に応えた。

(週刊サッカーマガジン2004年12月7日号)

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