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カブリーニとタルデリの飛び出し 82年W杯優勝とイタリアの再興

第2、第3列から攻撃参加

 82年ワールドカップでのイタリアの優勝は、前号で紹介したようにパオロ・ロッシの復活が劇的だったため、周囲の目はそちらに集まりがちだった。だが、カウンター攻撃のときの第2列、第3列からの“飛び出し”もイタリアの強さの一つだった。その代表例が、第2列ではマルコ・タルデリ、第3列ではアントニオ・カブリーニだった。
 タルデリは54年9月24日生まれで、この大会では28歳という充実期にあった。左のスペースヘ駆け上がるプレーでアルゼンチンとの2次り−グ第1戦(2−1)の先制点を決め、西ドイツとの決勝(3−1)でもチームに2点目を加えた。イタリア流のエース殺しの堅い守備からチャンス・スペースに現れるうまさは、EURO80、1次リーグのイングランド戦(1−0)でも発揮して、タルデリは後半にグラチア二の左からのクロスに合わせて飛び込み、唯一の得点を決めている。


サイドバック攻撃の伝承

 カブリーニはタルデリより2歳年下(57年10月8日生まれ)で、78年ワールドカップにも出場し、20歳の若さに似合わぬ冷静な守備と、攻め上がりのタイミングのうまさで注目を浴びた。
 この大会で強敵アルゼンチンにとどめを刺したのは、右サイドの攻撃を一度、防がれた後に、左サイドを上がってきたカブリー二のシュートだった。
 事実上の優勝争いとなったブラジル戦での1点目は彼の左からのクロスをロッシがファーポストで決めている。当時、FIFAの技術委員だったデットマル・クラマーは「ブラジルは大会途中からチームの調子が下降したのは惜しい。しかし戦術的にもミスがあった。それはイタリアの4バックのうち、マーカーのいないカブリー二が攻撃に出てくるのをマークしなかったことだ」と語っている。
 イタリアは60年代のカテナチオのころから、その元祖インター・ミラノ(インテル)にジャシント・ファケッティという左サイドバックがいて、俊足を生かした攻め上がりが看板だった。代表でも仕事は同じで、カブリー二はファケッティの流れをくむことになる(ついでながら、ファケッティの攻め上がりから、ドイツのベッケンバウアーが最後尾、中央にいるリベロの攻め上がりのヒントを得ている)。
 カブリー二は決勝のドイツ戦で24分にPKを右に外してしまったが、先制点の場面でロッシを手助けする。右からのFKに合わせてゴールに果敢に飛び込み、その外側に出てきたボールをロッシがダイビング・ヘッドで決めた。
 守備の堅さに攻めの柔軟性と果敢さを備えた、カブリーニやロッシの世代から“美しくて、強い”イタリア・サッカーの再興が始まる。82年ワールドカップはそのあかしと言えた。

(週刊サッカーマガジン2004年12月14日号)

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