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マラドーナの大会と言われた中で 光彩の棋譜を残したフランス対ブラジル
ヒーローの出現にメディアが殺到するのは“ヨン様”のいるいまも、86年のディエゴ・マラドーナのときも変わらない。
5月31日から6月29日までメキシコの9都市11会場で行なわれたワールドカップ13回大会はディエゴ・マラドーナのための大会とまで言われた。彼のドリブルとパスのうまさと、それを試合の流れのなかで“ここ”というときに発揮する閃きには驚くばかりだが、同時にまたマラドーナのアルゼンチン以外にも多くの強豪、好チームが集まった大会でもあった。
プラティニ、ジレス、ティガナ
それらの中には、プラティ二たちのフランスもあった。
78年のアルゼンチン大会で初めてプラティニを見た。1958年のコパとフォンテーヌの栄光の時代への復活の旗手とみられた彼とそのチームメートは、そのアルゼンチンでは1次リーグで退いたが、4年後のスヘイン大会では準決勝まで進んだ。西ドイツとの劇的な延長戦を終え、大会初のPK戦に敗れたけれど、プラティニ、ジレス、ティガナの中盤によるパス攻撃はブラジルと並ぶ魅力があった。
彼らは2年後のフランス、つまり欧州選手権で優勝する。もう一人、守備的MFのフェルナンデスが加わったカルテットの見事な構成力と、セリエAに移籍して得点意欲が強まったプラティ二のゴール量産がビッグタイトルにつながった。
メキシコ大会では1次リーグを2勝1分けで2次ラウンドヘ。ノックアウト方式に変わり、まず1回戦でイタリアを2−0で退け、準々決勝でブラジルと対戦。
技巧的、攻撃的、芸術的
プラティニ、31歳。ジレス、33歳。FWのロシュトーもティガナも30歳を超えていた。ブラジルもまたワールドカップ3回目のジーコが33歳、ソクラテスは31歳、ジュニオールは32歳になっていた。しかもジーコはケガのため、この前の2試合で後半にわずかの時間をプレーしただけで、この試合も前半は休ませていた。
それでも、このグアダラハラの戦いは私にとって忘れることのできないものとなった。アンリ・ミシェル監督の子飼いの“トリコロール”とテレ・サンターナがつくり上げた“ブラジル的チーム”は、たとえプレーヤーとしての晩年ではあっても、技巧的で、攻撃的で、芸術的だった。
前回大会でセンターフォワードに人を得なかったブラジルにカレッカが加わって、彼の一撃で先制。プラティニに同点とされると、ジーコが後半に投入され独特のスルーパスを披露。テレビ観戦したマラドーナが「素晴らしい試合だ。終わらないでくれ」と叫んだと言うが1−1のまま延長に持ち込まれ、PK戦でフランスが勝利を収めた。
フランスは激闘に疲れて、準決勝で再び西ドイツに敗れたが、大会の歴史の上で長く語り継がれる棋譜をブラジルとともに残した。
(週刊サッカーマガジン2004年12月21日号)