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リーグの設立も“北”の提唱

 1888年3月22日、ロンドンのフリート・ストリートにあるアンダーソンズ・ホテルで、フットボール・リーグ結成の第1回会合が持たれたのは、こうした北部をはじめ地方クラブの充実という勢いがあったからだ。提案者はアストン・ビラ・クラブのW・マクレガー氏。10−12の勢力あるクラブの賛同を得て、観衆にとっても魅力的で、またチームにとっても、もっと統制のとれた試合を開催しようという主旨だった。
 競技規則も「スローインを両手で投げること」(1882年)「ゴールの上辺をテープでなく、しっかりした横木にする」(1883年)という調子で、整備されて行なったが、まだ試合統制に対する規約までにはゆかず、たとえば、キックオフの約束の時間に遅れた相手のために1時間も待たされる、などといったことも起こっていた。いわば競技規則だけでなく、大会運営規則とかリーグ運営規則が必要になっていた。

 提唱者の案は受け入れられ、翌月の4月17日、マンチェスター市のロイヤル・ホテルで「ザ・フットボール・リーグ(THE FOOTBALL LEAGUE)の第1回公式会合が開かれ、1888〜89年のシーズンから12クラブの参加でリーグをスタートすることを決めた。

 FAの創立、それまでばらばらだった競技規則の統一によって、19世紀の末にイングランド、スコットランドに広がった近代フットボール。いまのサッカーは、大衆化によって技術の進歩や観衆の増加を生み、それが、新しくサッカーというスポーツ(遊び)をするために収入を得るプロフェッショナル・プレーヤーをチームの中に入れたクラブが、彼らだけのリーグを結成し、プロフェッショナルによる試合を行なうことになったのだった。


(サッカーダイジェスト 1989年「蹴球その国・人・歩」)

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