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番外編 75歳の入院、手術初体験

鼠径ヘルニアの手術

 75年の生涯で初めて、入院する羽目になった。
7月下旬に、中国足球学校取材の旅行に出かけていたときに、下腹部に痛みを覚え、帰ってから診察を受けてみると「鼠径(そけい)ヘルニア」――子供の先天的な“脱腸”は聞いているが、と問い返すと、「腹壁の筋の弱った高齢者には、よくあることです。軽いうちに手術をしておいたほうがいいです。手術そのものは、難しいものではありません」と、その場でパタパタと手術の日取りと、そのための入院の手順が決められていった。
 若いときは“腹筋と腰”だけには自信があったのに、使わないでいると、腸管が下がってくるのを持ちこたえることもできなくなってしまうのか――と、いささかガッカリもする。まして、中国の足球学校の炎天下のグラウンドで、元気に指導している同年輩のデットマール・クラマーに、会ってきたばかりだったのだから…。
 幸い、14日午後に行なわれた芦屋市立病院での手術も、術後の経過も順調で、21日午前には抜糸(といってもいまはホッチキスを外すのだが)を終えて、無事に退院することができた。


麻酔なしのメスは

 メスを入れるだけなら、昭和19年8月、陸軍にいたときに経験したことがある。左足首の何かの傷から菌が入って腫れ上がり、処置してもらったのだ。
 麻酔などはなく、メスで患部を小さく十字に切り開いた。すると、中から血ウミがバアーっと出てきた。こちらは覚悟の上だったから、ウームと声も出さずにこらえていた。
 しかしその悪臭と、ついで軍医(見習い士官だった)がメスの柄の方で傷口をジクジクという音とともにかき回し、さらにウミを出し、ピンセットで白い固まりを引っ張り出したときには、付いてきてくれていた同期生の方が、顔面蒼白になってしまった。
 ヨードチンキを浸したガーゼをぽっかり開いた穴に押し込んで、これで終わり、と言われ、そのまま飛行演習に参加した。
 軍医さんから見れば、砲弾などによる負傷に比べれば、どうってこともないのだろうが、いま、あの痛さを辛抱はできないだろう――
 という話を、手術の手順の説明にきた看護婦さんにすると、ちゃんと麻酔の先生が付き添ってくださるから、安全だし痛みもありません、という。
 その麻酔科の担当医や手術担当のドクターからの説明があった。それも、硬膜下(こうまくか)麻酔であるとか、新しい手法の手術についての長所と短所など、かなり詳細にである。


手術室へ、キックオフの緊張感

 詳細といえば、手術当日は10時に浣腸し、それから点滴、事前投薬といったことから、紙の手術衣に着替えること、パンツは…。病院のベッドからストレッチャーに移り、4階から2階にエレベーターで降りて…と、マニュアルはずいぶん細かく作られている。
 その移動ベッドで手術室へ運ばれるとき、周囲全体に緊張感が走るが、キックオフと同じで、病室の看護婦さんに「頑張って」と言われると、久しぶりに選手に戻った気分を味わった。
硬膜下麻酔というのは、細いチューブを背骨の中に通して、手術局所の腹部から下だけに麻酔が効く、術後も外さずに痛みに応じて調節できるのだという。
 意識はあるから、手術しているところは、幕で遮断されて見えないけれど、なんとなく感じるので、「いまメスを入れているのですか」などと尋ねる。すると、それにドクターが答えてくれる。
 意識を残しておくのは、手術の終わりごろかに、力むように指示され、腹部に力を入れる(実際には腹部にはその感じはない)ことで、腸管が腹部から下へ再び出てくるかどうかを確かめるためなのだそうだ。その力むことからしばらくすると、それで終了、ご苦労さまとなる。1時間ほどだった。
 ドクター、看護婦さん、それぞれの個人技能と見事なチームワークのおかげで、手術そのものも、術後の1週間も快適だったし、仕事としばらく離れることができたことも良かった。もっとも、75歳でいまだなお“現役のコーチ”であるクラマーとの会話を、反すうすることはあったが…。
 この連載は次回から、大戦争期に移るのだが、昭和16年にクラマーは、落下傘部隊に所属し、クレタ島やサハラ砂漠での戦闘に加わっていた。監督時代の彼の冷静さには、これら極限の経験がプラスになっていたのだろう。
 さて、私は――。


(週刊サッカーマガジン2000年9月13日号)

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