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大戦争に直面して(1)

シドニー五輪――2題

 オリンピック代表が決まって、いよいよシドニー本番。今度のチームならメダルの予想も不思議ではないが、私はプレーヤーの一人ひとりが、これまでよりは手ごわい相手、好敵手を得て、チームとして全力を出し切ることを経験してほしいと思う。
 人の人生で、一つの目的に向かって心と体を燃焼する、選手としてチームの全員が90分間、力を出し尽くす――という経験は、たびたびあるわけではないが、それをオリンピックという舞台で演じられれば、彼らにとって何よりだと思う。
 そうすれば、自ずと結果はついてくる。
 オリンピックついでに、もう一つ。メンバーを見て小野伸二が入っていないのでほっとした。
 昨年7月の対フィリピン戦で相手のファウルで左ヒザを痛めて以来、テレビに映る彼は、いつも故障を抱えているように見えた。クラブや本人の事情はともかく、まず故障を完治してほしいと願っている。
 ヒザの故障に始まる悪循環(全治しないうちに試合に出て、また故障する)の例は少なくない。21歳の彼には、この時期の試合やトレーニングは大切だが、それよりも回復が先。彼の将来を失うことになったら、それは日本だけでなく国際的な損失と思わなければならない。


受験失敗すれば徴用工?

 さて、マイ・フットボール・クロニクルは、タイムトンネルをくぐって1941年(昭和16年)に戻る。
 11月3日の明治神宮大会の決勝で、普成中学(朝鮮地区代表)と引き分けではあったが、ともかく1位となって、各人に賞状をもらい、神戸へ戻った私たちはサッカー部(神戸一中ア式蹴球部)を4年生に引き継いでもらう。
 次の年度は、岩谷、杉本茂雄(後に関西学院大、日本代表)らの4年生、鴇田正憲(関西学院大、日本代表)、岡田吉雄(早大、日本代表)らの3年生はそれぞれ10人ほどいて、技術も体も揃っていたから、心配することはなく、5年生は3月の大学受験に向かって追い込みをかけるだけだった。
 受験競争でも、ボツボツほかの学校からの追い上げがあって、入学率が落ちたのを気にする先生もあり、また、非常時局の折から受験に失敗すれば、軍需工場へ徴用工(ちょうようこう)として働きに出ることになる――などのうわさも出始めていた。
 私にとっては、どの高等学校が好きだとか、どこの大学がいいなどということはなく、サッカー部のマネジャーとして、下級生を指導してきた者が、受験に失敗して「反スポーツ派」の先生たちから「運動ばかりすると……」と例証に挙げられるのがイヤ(イヤだけでなく、そういう話は父兄に大きな影響を与え、サッカー部を辞めさせたいという意見も出る)だから、まず通ることが第一。それにはある程度自信のある学課が受験課目であることが要件(3ヶ月の追い込みがうまくゆけばの話だが)だった。そう見ていくと、近くの神戸商大予科(現・神戸大)つまり、兄・太郎のいるところとなる。


ラジオで聞く大本営発表

 そうした私を「今(こん)8日未明、帝国陸海軍は米英両国と戦闘状態に入れり」という大本営発表が驚かせる。
 12月8日、勉強の最中にラジオのスイッチをひねったら、これだった。カゼ気味だったから、その日は1日、ラジオを聞き、号外を見た。
 翌日からしばらく、学校でも戦争が一番の話題となった。大国アメリカとの大戦争の残酷な結末を読めるはずはなく、生徒たちは、モヤモヤが吹っ切れた気分でいた。
 昭和17年の正月は、いつもどおり白ミソの雑煮で迎えた。例年1月の朝日招待サッカーは開催されなかったが…。
 入学試験は、無事に合格した。クラス160人のところへ1000人ばかりが受けた。ただし、学業ではなく身体検査で引っかかったことには驚いた。肺尖(はいせん)に痕跡があるという。結核にかかって、自然に治っていたのだという。ドクターがスポーツマンで、ポジティブな先生だったから、よかったのだと、あとで兄から説明された。
 入試が済むと卒業式、池田校長の方針で、卒業生の表彰には優等賞などはなく、皆勤賞と運動部に卒業まで在籍したものだけ。サッカー部の6人は一人ずつ小さな銀杯をもらって満足した。カーキ色の制服を脱ぐときがきた。


主な出来事
昭和17年(1942年)
◇1月 日本軍マニラ占領。連合軍機によるドイツへの空襲開始
◇3月 日本軍、シンガポール、ビルマ、ジャワ占領
◆4月 浩、神戸商大予科(現・神戸大学)に入学
◇6月 前年12月モスクワ攻略に失敗したドイツ軍の東部戦線夏期攻勢。ミッドウェー海戦、太平洋戦局のターニングポイント
◎7月 旧制インターハイで五高が初優勝
◎8月 学徒体育振興会主催第1回全国総合体育大会の中学蹴球の部で神戸一中優勝

※◇社会、◆私、◎サッカー


(週刊サッカーマガジン2000年9月20日号)

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