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大戦争に直面して(5)

ヒロシマの8時15分

 サッカーの記者仲間の中条一雄(ちゅうじょう・かずお)氏が文藝春秋の8月号に掲載した「ヒロシマ原爆は“8時15分”に落ちたのか」という記事をお読みになった方も多いだろう。すでに定説となり、毎年の平和記念の黙祷(もくとう)の時刻にもなっている8時15分に中条氏が異議を唱えるのはなぜか――から説き始め、調査を進めていく過程が面白い。
 旧制の広島高校の生徒だったときに被爆の体験を持つ同氏だが、その後輩の一人は、「8時に紙屋町(爆心より約300メートル)で友人と会う約束をしていて、8時少し前に広島駅についた。市電の駅まで走って乗った瞬間、ピカリときた。もし15分に落ちたのなら、紙屋町についていたから、ぼくはたぶん死んでいた」という証言は、このときのほんのわずかな時間の違いが運命を分ける恐ろしさを表している。歴史の現場に居合わせた者にとって、自分の時計での記憶と、米軍の記録や、それに合わせた出版物などによる“定説”との違いは、承服しがたいものだろう。
 この原爆の1分、あるいは30秒の違いの恐ろしさでなくても、“戦時中”と言われる時期にも、1年、半年、いや1月、1月で情勢に差があって、受け止める若者の気質にも微妙な違いがあったが、現在の世論のリーダーたちはそれを見逃して、戦時中は――とひとくくりにして語ることが多く、そうしたテレビ番組に出会うと、砂をかむ思いがする。
 さて、マイ・フットボール・クロニクルの今回は、原爆投下にはまだ至らないが、“学徒出陣”で仲間たちが学校を去ったところからです。


父・陸蔵のこと

 昭和18年(1943年)の暮れは、兄・太郎を海軍に送った我が家に大きなカゲがあった。
 父・陸蔵(りくぞう)の病状が悪化し始めたのだった。明治24年(1891年)生まれの陸蔵は、日本の産学の祖、賀川玄悦(1700−1777年)の嫡系(ちゃくけい)、北・賀川家四代目の景之輔(号は忠斉)の息子で、本来なら産科医を継ぐところを、2歳のときに景之輔が(41歳の若さで)死去し、その後は母方の親類の事業失敗に巻き込まれて上京区の屋敷を失って、京都一中を2年で退学し、神戸に住む姉の夫の医師・山本治郎平宅に移り、英語や簿記を学んで、貿易会社の役員となっていた。
 スポーツ好き、家庭的で、兄の予科留年をかなえようと二人で教授宅へ押しかけ、先生を驚かせたこともあり、私や兄の友人間に人気があった。
 その父が病床についたのは、出征軍人の見送りで風邪をこじらせてから、体調がよくないのに町内会長の責任感から雨の中を自宅から三宮駅までの25分を歩いたのが、こたえた。
 浸潤性の肺結核と言う診断で、加藤喜作ドクター(神戸FC創設者・加藤正信氏の父)は休養と栄養で回復すると力づけてくださるが、栄養補給が大変。配給だけではもちろん不足、いわゆるヤミ物資を手に入れるには町内会長という立場にあるので、私や兄がスキーで馴染みになった妙高高原の関温泉まで買出しに出かけることもあった。兄の入隊の日、父は「若い者がこうしてお国のために戦に出て行くのに、自分が病にあるのが残念」と涙した。苦労の末、築いた家庭の最大のホープである長男を兵役に送り出すつらさは、どれほどだったのだろう。


第三期特別操縦見習士官

 昭和19年(1944年)3月15日、父は去った。53歳だった。飛行予備学生となっていた兄が、臨終に間に合ったのがせめてものことだった。
 その1ヶ月半後に、祖母・富栄も他界した。
 私の徴兵検査もやってきた。健康な兵士が必要なので、基準を下げたから、小柄な私は昔なら第一乙種のところを“甲種合格”。本籍地の京都市上京区役所で立ち合いの連隊区司令官や国防婦人会の人たちから「オメデトウ」を言われたが、同じ軍隊へ行くならと、すでにこの少し前に陸軍の第三期 特別操縦見習士官の試験を受けてパスしていた。
 6月1日、私は栃木県那須野原にある宇都宮陸軍飛行学校金丸分校に入隊した。1年前には6人家族とシェパード1頭の我が家には、母・寿美と妹・清子とピッツァ(犬の名)が残るだけとなった。

小学生から中学生へ

昭和18年(1943年)
◎1月 東西学生1位対抗。早大1−0関学大
◇2月 日本軍、ガダルカナル島から撤退
◇4月 日本海軍の連合艦隊司令長官、山本五十六が戦死
◇5月 アッツ島・日本守備隊全滅
◇7月 イタリアでムッソリーニ首相逮捕。パドリオ政権誕生
◎8月 全国規模の大会はすべて中止。神戸一中は兵庫県大会で優勝
◇10月 学生の徴兵猶予制度を停止(学徒出陣)
◇12月 学徒兵の入隊

昭和19年(1944年)
◆3月 父・陸蔵死去
◆4月 祖母・富栄死去
◆6月 浩、陸軍特別操縦見習士官
◇6月 米軍、サイパン島上陸。連合軍ノルマンディー上陸
◇7月 東条内閣総辞職、小磯国昭内閣が成立
◇10月 米軍レイテ島に上陸
◇11月 B29による東京初空襲
◇12月 東海大地震

※◎サッカー、◇社会、◆家庭


(週刊サッカーマガジン2000年10月25日号)

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