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戦後の混乱と復興期に(1)

サッカーの早い復活

 流れるレコードのメロディーを聞きながら、あっという間の1年を振り返っていた。京都の河原町四条近くの静かな音楽喫茶、昭和21年も師走に入ろうとしていた。
 1年前の10月に復員した。仲間の呼びかけで再びボールを蹴り始めた。先輩たちも日曜日になると西宮球技場の芝生に集まった。大阪対神戸とか関西のOB対学生とか、いろいろな名目で試合をした。
 関東・関西両協会の話し合いで21年2月11日に、一般の部、学生の部の東西選抜対抗を行なった。その学生の西軍の選手で試合をした(2−2)。サッカーの早い復活と、新聞も扱い、土盛りのスタンドは、人で埋まった。何人かの後輩(サッカー部でない者もいた)から、「試合を見て感激した」との便りをもらった。
 3月に神戸経済大学予科(現・神戸大)に退学願いを出した。辞める前の1ヶ月半は、予科のサッカー部の復活を考えて、京都の上京区小山花ノ木町の寓居(ぐうきょ)から片道3時間かけて毎日通って練習した。
 学校を辞めたのは、特に理由があるわけではないが、戦争で死ぬまで(あるいは死ぬため)の心の準備の場であった予科は好きだが、ここを出て経済や商業の勉強をするといった未来は考えてもいなかったから、生きて帰ったいま、もう一度、自分のことを考えてみたかったのだ。その中には、あまりにもサッカーに打ち込んだ生活から抜けたい、という気もあった。


日本選手権、大学リーグ、国体

 復活した日本選手権(現・天皇杯)が5月5日、東京の東大御殿下グラウンドで行なわれ、神戸経大クラブが関西代表になって東上し、東大LBに敗れた。試合の後、仲間と別れて、一人宇都宮の壬生飛行場跡を訪ね、奥日光まで足を伸ばした。飛行演習のときにいつも眺めた男体山や白根山を間近に見るため、金精(こんせい)峠の雪道を歩いた。
 兄・太郎は大学に通い、ノリさん(則武謙)や少し遅れて復員したケツさん(芦田信夫)たちと復活した関西大学リーグに向かっていた。
 夏の合宿費や、ボール代を稼ぐためにノリさんたちはダンスパーティーで資金集めをした。秋リーグ戦では、関学や関大を抑えて神戸経大が優勝した。最終の関学との試合の前に、ノリさん、ケツさんの二人は大学の部室(まるで掘っ立て小屋だが)に寝袋を持ち込んで何日か泊まり込んで精神の統一を図ったという。その試合を私はスタンドで見た。
 秋には第1回の国体が戦災を受けていない京都を中心に行なわれ、サッカーは東西の予選を勝ち抜いた1チームずつが西宮球技場で戦い、西の関学が東の東大LBを2−1で破り、中学の部は東の湘南中が神戸一中に勝った。サッカー技術の先達、東大OBのノコさん(竹腰重丸=40歳)が選手としてプレーしていた。


旧制インターハイの壮絶

 第三高等学校の学生たちに、サッカーを教えてほしいと頼まれたのは、この田園という喫茶店だった。ぶらりと入って、ベートーベンの第7(交響曲)を時間の都合で第2楽章まで聞いて帰ったら、その次に黙って第3楽章からレコードをかけてくれた。そんな気配りに、つい河原町へ出れば、寄ることにしていたら、ちょいちょい来ている学生の中に神戸一中の後輩がいて、「ラグビーしかなかった三高でサッカーを始めた。11月に旧制インターハイが復活する。それに出場するが伝統もなし、先輩もいない」という。彼らの熱意に負けて短期にチームを作り上げた。
 京大農学部のグラウンドでの大会は、まず西日本大会を行ない、それに勝った六高が、しばらくして東日本の代表を相手に優勝を決めたのだが、西日本の決勝の対広島高等学校は、まことに壮絶。広高が2−0とリードすると六高が2−2に追いつき、延長後半に広高が得点すると終了間際に六高が 同点、再度10分ハーフの延長の末、六高が1点を挙げて4−3で決着がついた。
広高には、若き中条一雄(元朝日新聞運動部、現フリーランス記者)、六高には神戸一中で野球をしていた井上通がいた。この六高と準決勝で当たった三高は負けはしたが、0−1の接戦だった。
 サッカーからしばらく離れるために学校のクラブという組織から離脱したつもりだったが、結局、この1年間もサッカーとは切れなかった。しかし、これまでと違ったサッカー感も芽生えようとしていた。


終戦直後の出来事

昭和21年(1946年)
◇1月 「天皇は神にあらず」(人間宣言)
◎2月 西宮で東西対抗一般の部、学生の部
◇5月 極東軍事法廷開く
◎5月 全日本選手権(現・天皇杯)東大LB優勝
◇10月 ニュルンベルク国際軍事法廷最終判決
◎11月 第1回国体中学の部・湘南中3−2神戸一中
    一般の部・関学大2−1東大LB
◎11月 旧制インターハイ復活 六高が優勝
◇11月 日本国憲法発布

※◇社会、◎サッカー


(週刊サッカーマガジン2000年11月29日号)

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