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戦後の混乱と復興期に(4)

 年代順に話を進めていく。この連載に、2回番外編を挿入し、また12月20日号には私自身が、この雑誌の「People 150」に登場したため、内容の重複を避けて休載――というような次第だったが、この号の連載第48回から再び、戦後の「京で蹴り、京で暮らす」に戻る。


流政之と岡ちゃんと北海道

「元気にしている?」
 12月のある日、懐かしい声の電話があった。
「いま、北海道に来ている。JRのKさんと、北海道のためによいことをやろうと計画しているのだが、その彼がサッカーのドサンコ・チームの熱烈な支持者。そこで、『流(ながれ)さんはサッカーに関心はあるか』というようなことから、キミの話が出た」
「それで、Kさんがキミのことを岡田武史監督に訊ねたら、『私の恩人です』と言ったので…」
 声の主は石の彫刻家として世界的に知られている流政之(ながれ・まさゆき)――。
 札幌のどこかのバーで彼の信奉者たちが、大彫刻家とスポーツ記者と人気監督との関係をサカナに、ひとしきり話が弾んだ様子を想像した。
 大戦が終わり、死ぬことを決めていた人生を考え直すために、学校を退学した。サッカーも止めようと決意しながら、結局ボールに触れることを続け、自分が「何をもって世に向かうのか」を見つめた京都での7年間は、ヘルマン・ヘッセ流に言えば「青春彷徨」。
 その間、それまでとまったく異なった境遇で、まったく異なった種類の人たちと親しくさせてもらったことは、いま思い出してもありがたいことだった。
 その中でも、流政之という、まったく別種の偉大な才能に巡り合い、彷徨期をともにした愉快で刺激的な日々は、いまなお私の大きな財産になっている。


キミはガンダーラの彫刻のようだ

 大戦中に海軍に入り、第14期飛行予備学生となった兄・太郎が、鹿児島県の出水(いずみ)航空隊で練習機の訓練に励んでいたとき、同じ予備学生だが別の隊にいて面識のなかった彼が、休日にフラリとやって来た。そして「キミはガンダーラの仏像のような顔をしている。一度会いたかった」と言ったそうだ。
 零(ゼロ)式戦闘機の筑波航空隊まで一緒で、復員してからときどきは、我が家を訪ねてくれるようになる。兄・太郎と違って1歳年少で、しかも自分の方向の定まらぬ私を危なっかしく思ったのか、あるいは自らに似ていると感じたのか、何年か後に彼の“デザインクラブ”にかかわるようになった。おかげで芸術を志す同世代の人たちや、戦後の一つの社会現象ともなった洋裁学校、××デザイン・スクールの先生たちにも会うようになり、総合デザインということから、戦前の大阪商船の設計者・和辻春樹(わつじ・はるき)さん宅にも出入りするようになる。


天賦の才能とは

 そうしたサッカー以外の新体験の多くを与えてくれた流政之の久しぶりの電話は、さまざまな記憶を蘇らせてくれた。米国の週刊タイムズ誌が70年代に「Picasso(ピカソ)、Matisse(マチス)、Nagare(流)」の特集を組むほどにまでなった彼のおかげで、私は“才能”というものに目を開くことができたのが何よりだった。
 いままで、勉強が大切で何事にも努力することが一番、と教えられ、神戸一中では学科でもスポーツでもその努力の成果を見てきた。しかし、美術学校へ行ったわけでもなく、先生について習ったわけでもない彼が、何気なくペンを走らせるスケッチなどで、瞬時に物の形や色の特徴をとらえてしまうのを見ると、まこと“天賦の才”は努力とはまた別のところにあると知る。
 そして、彼のようにまったく隔絶した高さでなくとも、人それぞれに才のあること、やがてサッカーのような遊びにも、それがあると思うようになる。
 昭和24年(1949年)、敗戦国に講和の話が進み、サッカーでは全関西と全関東がレベルの高い好ゲームを演じて、メディアが戦前のレベル復活と称揚した。朗報はもう一つ、36年ベルリン・オリンピックのCF、川本泰三がシベリアから12月に帰還した。


終戦直後の出来事

昭和24年(1949年)
◎1月 学制改革のため、全国中等学校選手権大会は第27回から全国高校選手権大会と名称が変わり、1日に開催。
    広島の鯉城(りじょう)高が優勝
◎4月 全関西4−2全関東(西京)。天皇杯を受ける
◇4月 1ドル360円の単一為替レート設置
◇4月 中国人民解放軍、南京占領
◎5月 イタリアのトリノFCが飛行機事故でチーム全員死亡
◇5月 ベルリン封鎖解除
◎6月 2年間中断ののち、全日本選手権(現・天皇杯)復活。地域代表5チームが東京・早大東伏見運動場で対戦
◇7月 下山事件、三鷹事件など国鉄関連の大事件勃発
◇11月 吉田首相が参院で単独講和にも応じると答弁
◎12月 川本泰三、シベリア抑留から帰還
◇12月 人民解放軍、成都占領。中国全土を解放

※◇社会情勢、◎サッカー


(週刊サッカーマガジン2001年1月10/17日号)

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