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スポーツ記者になって(8)

第1回アジアユースへ

 昭和34年(1959年)4月13日、午前10時に羽田を飛び立った英国航空のジェット機で役員4、選手18人の日本ユース代表は、香港経由、マレーシアの首都、クアラルンプールに向かった。
 それは、4月19日から26日まで、同地のムルデカ・スタジアムで開催される第1回アジアユース大会に出場するためだった。役員のなかに石平俊徳団長、高橋英辰監督、西本修吉主務とともに、私も名を連ねていた。
 仕事は報道役員だが、なんといってもスポーツ界初の高校選抜チームの海外派遣であり、何が起こるか分からないから、「まあ雑用も引き受けるつもりで同行してほしい」という協会幹部の考え。
 現在では、アジアユース(U−19)はFIFAワールドユースの予選を兼ねていて、昨年11月に開催されたイラン大会で準優勝を果たした日本は、今年2001年6月にアルゼンチンで開かれるFIFAワールドユースにアジア代表(4チーム)として出場することになっている。しかし42年前には、FIFAの年齢別選手権は、まだ生まれていなかったのだった。
 それでもヨーロッパでは、1948年から欧州ジュニア・チャンピオンシップ(U−18)の名で、毎年、大会が行なわれていた。FIFAも、各大陸連盟にユース大会の開催を積極的に勧めていたのだ。
 その必要性を痛感した日本協会が、AFC(アジア・サッカー連盟)の総会で提案し、ときのAFC会長であり、マレーシア首相でもあったトンク・アブダル・ラーマンが、第1回大会をマレーシアで引き受けるということで、スタートが決まったのだった。


個人負担、一人20万円

 大会規定では、参加選手の年齢を20歳以下(開催年の4月1日現在)としていたのだが、日本は選手を選考するときに高校在学中の者に限るとした。
 ほとんどが満18歳以下となって、ほかの国(U−20)に比べてハンディはあるが、高校生の大きな目標にしたいとの考えからだった。
 選手たちは前年、秋の国体とこの年1月の全国高校選手権(優勝は京都・山城高、準優勝は広島大付高)から選ばれた18人。のちに、日本サッカーリーグや日本代表で活躍するGK片伯部延弘(かたかべ・のぶひろ、延岡向洋高→中大→日立)宮本輝紀(山陽高→八幡=新日鉄)、桑田隆幸(広島大付高→早大→東洋工業)杉山隆一(清水東高→立教大→三菱重工)継谷昌三(つぎたに・しょうぞう、関学高→関西学院大→三菱重工)なども名を連ねていた。
 円の固定相場が1ドル=360円、海外旅行もジェット機も珍しいころ。選手を送り出す府県協会は、個人負担分、一人20万円を調達しなければならなかった。


低迷期の“3位”

 大会は参加8チームが、まず抽選で決まった相手と1試合して、勝ちがA、負けがBグループに入り、各グループ内リーグで順位を決める。日本は4月19日の対シンガポール戦で4−0と快勝し、Aグループに入り、まず4位内が確定した。
 このときの勝ち方があまりにも素晴らしかったので、日本の人気が高くなったのはいいが、試合の組合せは、21日に韓国、22日にマレーシア、24日に香港と、韓国、マレーシアに連戦で当たるという不利なものとなった。韓国には大接戦で2−3、マレーシアには0−6の大敗となった。韓国戦で疲れきった宮本輝紀の欠場も響いたが、第3戦は1日の休みで元気を取り戻し、6−2で快勝し、3位を確保した。
 出発直前のわずか13日間の合宿と合同練習、4月13日出発から大会開幕までの6日間の練習――という短期間の準備ではあったが、まずまずの成果といえた。選手たちは、この後、マラッカ、シンガポール、バンコクで親善試合をして、5月6日に帰国した。日の丸をつけての海外試合は、彼らにとっての大きな経験となり、3位の朗報に日本協会は、全員に小さな盾を作ってプレゼントするほどの喜びようだった。
 私にとっても、この世代にキラリと光る素材を見たことがうれしかった。彼らを10年間見続ければ、オリンピックの銅メダルにつながるとは、このときはもちろん、知るよしもなかったのだが…。


復興へ向けて・昭和34年(1959年)の出来事
◇1月 ソ連、宇宙ロケット打上げに成功(米ソ宇宙競争へ)
◇4月 皇太子ご成婚
◎4月 第1回アジアユースサッカー
◇5月 IOC総会で64年の第18回オリンピック大会の開催地を東京に決定
◎5月 第29回天皇杯、関学クラブが優勝
◇7月 田中聡子が200メートル背泳、山中毅が400メートル自由形で世界新記録
     児島明子、ミスユニバースに(アジア人で初)
◎8月 第1回ムルデカ(マレーシア独立記念)大会
◇9月 小沢征爾がブザンソン国際指揮者コンクールで1位
     台風15号で死者5041人、被害家屋57万戸
◎12月 ローマ五輪予選対韓国0−2、1−0、得失点差で敗退
※ ◎サッカー、◇社会情勢


(週刊サッカーマガジン2001年4月4日号)

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