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ローマ、東京、メキシコ(2)

古河電工の天皇杯優勝

 関東に居を移しても、正月の高校選手権はこれまで同様に取材、元旦の東京駅発の夜行に乗るのが、東京在住中の例だった。
 昭和35年(1960年)の第38回大会は、浦和市立が優勝した。昭和27年からこの年まで、9回のうち5回が埼玉県代表の優勝となった。浦和と張り合うはずの藤枝東は準決勝で、明星(大阪)に屈した。この藤枝東の橡尾健次(とちお・けんじ)と浦和の守屋忠(もりや・ただし)が卒業して古河電工に入り、5月の第40回天皇杯優勝に貢献する。
 古河電工は長沼健(現・日本協会名誉会長)が昭和30年に入社してから急速に強化を図った。内野、八重樫、平木らメルボルン五輪代表や、鎌田、GK保坂たちがいて、この大会は1回戦から帝人松山を6−0、強敵・八幡製鉄を3−0で破り、準決勝で明大を6−1、決勝の慶応BRBにも4−0で大勝した。企業チームとして初の天皇杯優勝者となる。
 この大会から10日ばかり後に、外電はレアル・マドリードの欧州チャンピオンズ・カップ(現・チャンピオンズリーグ)5連覇を伝えた。
 この年はまた、世界クラブ王座と称して南米のリベルタドーレス杯の勝者と欧州チャンピオンズ・カップ勝者との対戦が実現し、レアル・マドリードが勝つのだが、そうしたサッカー界の動きに気を留める人は少なく、日本の社会は半年間、安保騒動に揺れた。
 私自身にも波乱があった。春にローマ・オリンピック大会(8月25日−9月11日)特派員の内示があり、IDカードの申請も済ませた後で、私ではなく代わりの記者が派遣されることになった。提携関係にある北海道、中日、西日本の地方有力紙と産経の4紙による合同特派員チームを木村象雷を軸に作るという構想で、私もその中に入っていたのだが…。
 編集局長に丁寧に詫びられて、一時は煮えくり返った腹の中を「死ぬに決まっていた特攻隊にいても、生きて帰ってきた。世の中は予定どおりにはいかないこともあるんだ」と押さえ込み、大会中はオリンピックデスクとして、徹夜の日々となった。


海外へ2チームを派遣

 4年後の東京オリンピックを控えて、にぎやかにローマへ送り出される日本選手団とは別に、サッカーは8月16日、竹腰重丸団長、高橋英辰監督ら役員3人、選手19人がソ連、欧州遠征に出発した。役員のなかに、朝日新聞の中条一雄氏も主務として入っていた。
 一行は、まず西ドイツで練習後、ソ連を回り、ついでチェコ、西ドイツ、イングランド、イタリアを経て帰国する50日間10試合の武者修行の旅。日本協会はこのほかに西村昌一監督以下、20人のB代表をムルデカ大会(マレーシア、8月5日−15日)に派遣した。
 同じ時期に2方面に代表チームを送り出すのは初めて。それだけに“東京オリンピック”への強い意気込みということなのだろうが、一つには欧州やアジアレベルの上の相手との試合のほかに、設備の良い海外での合宿の方が、効果がある(芝のない日本よりも)と考えた。職場を長期間離れることについては、東京オリンピックという“錦の御旗”がものをいった。


デットマール・クラマー来日

 ヨーロッパ組は、このとき西ドイツ、デュイスブルクのスポーツシューレ(学校)でデットマール・クラマーに会う。
 そして10月29日、彼が初めて日本へやってきた。
“東京”への強化策の大きなポイントとして、日本協会は外国人プロコーチを招くことを決め、野津謙会長が西ドイツ協会と話し合い、ヘルベルガー主任コーチの紹介で、その弟子のクラマーと会い、人柄と見識にほれこんだのだった。
 この年の2ヶ月間を皮切りに、彼は“東京”までに4度来日して、日本代表の指導だけでなく、日本サッカー全般にわたって大きな影響を与えるのだが、私もまた、彼から多くを学ぶことができた。
 彼の来日から4年間、東京オリンピックに向かっての日本サッカーの変貌――メキシコ・オリンピックの銅メダルに続く再建のスタート時期に、東京にいて、協会、代表選手をすぐ近くで毎日のように見ることができたことは、まことに素晴らしい経験だった。
その地味な変革に、世間はまだ気が付いていなかったが――。


昭和35年(1960年)の出来事
◎1月   第38回高校選手権、浦和市立高が優勝
◇1月   新日米安保条約、行政協定調印
◎5月   天皇杯(大阪うつぼ)古河電工初優勝。レアル・マドリード、欧州チャンピオンズ・カップ5連覇
◇5月   チリ地震による津波で三陸に大被害
◇6月   安保改定阻止デモで樺美智子さん死亡
◎8〜9月 日本協会はムルデカ大会へ20人、ソ連へ22人の各選手団を送る
◇8〜9月 ローマ五輪、体操の小野喬が金3、銀1、銅2のメダル6個を獲得
◎9月   レアル・マドリードがペニャロールを破り最初の世界クラブ王者に就く
◎11〜12月 W杯予選、対韓国1回戦(ソウル)ソ連、ロコモチフ来日
※ ◎サッカー、◇社会情勢


(週刊サッカーマガジン2001年4月25日号)

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