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ローマ、東京、メキシコ(8)

東京五輪フットボール競技

 第18回東京五輪は1964年(昭和39年)10月10日、昭和天皇の開会宣言で始まり、24日までの2週間、93ヶ国から男子4557人、女子683人の参加で行なわれた。1940年の、いわゆる幻のオリンピックから24年、1912年(明治45年)の第5回大会に陸上短距離の三島彌彦とマラソンの金栗四三が初参加して以来52年、多くのスポーツ人にとっての夢が実現した。
 サッカーの参加は前回ローマ大会優勝のユーゴスラビア、開催国・日本は予選なしの参加、残りの14チームはアフリカ(3代表)、アジア(3)、欧州(5)、北中米カリブ海(1)、南アメリカ(2)の各地域での予選を経ての出場。1964年6月28日にチームが出揃い、8月3日に本大会の組合せが決定した。

◇Aグループ:ドイツ、イラン、メキシコ、ルーマニア
◇Bグループ:ユーゴ、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)ハンガリー、モロッコ
◇Cグループ:チェコ、韓国、ブラジル、アラブ連合
◇Dグループ:イタリア、日本、アルゼンチン、ガーナ

 各グループ内で1回戦総当たりのリーグ戦を行ない、上位2チームが準々決勝へ、以後、準決勝、決勝(3位決定戦)へと進むのは、いまと同じ。


入場券61万枚も売れたが…

 会場は▽国立競技場(6万5000)▽秩父宮ラグビー場(1万6000)▽駒沢競技場(2万)▽大宮蹴球場(1万4000)▽三ツ沢蹴球場(1万3000)の5会場。国立と駒沢が陸上競技場なのに対して、秩父宮、大宮、三ツ沢は、スタンドは小さいが、いずれもトラックなし。
 1次リーグ24試合、準々決勝以降8試合を合わせて全32試合で、入場券の発券枚数は63万8195枚。61万6442枚も売れ、96.59%という驚異的な販売率であった。
 大会のメーン競技といわれる陸上競技の販売枚数が51万9000枚だから、サッカーが売り上げナンバーワン競技となるところだった。しかし、D組のイタリアにプロがいるとの疑いが持たれ、出場を取り止めた。また、新興国スポーツ大会というIOC(国際オリンピック委員会)の非公認国際大会に出場した北朝鮮の選手の資格が問題となり、選手全員が不参加を表明し帰国したため、本番では大会参加は14ヶ国となり、試合数は26に減少。取り消しとなった一次リーグ6試合の入場券は払戻しとなり、サッカーの総販売枚数は44万1161枚に留まり、入場者数1位の記録を失うことになった。


アルゼンチンに勝つ

 日本のDグループは前述のイタリアの棄権によって3チームとなり、10月12日にアルゼンチンとガーナが引き分けた後、14日に日本がアルゼンチンと対戦して3−2で勝った。
 前半は0−1。チャンスを多く作りながらゴールできず、アルゼンチンはセンターフォワードのドミンゲスがドリブルで突破してのシュートを決めた。しかし、後半に日本が反撃に出る。八重樫がドリブルの後、杉山へスルーパス。その杉山がシュートして同点とする。
 62分にアルゼンチンがリードするが、これを追って日本は釜本が左からゴール前へ送り、川淵がダイビングするようにヘディングして再度同点。その1分後には再び左サイドから攻め、右の川淵のシュートをGKセハスがはじいたが、小城が決めて3−2と逆転した。
 南米予選を1位で通過したアルゼンチンは、ブラジルよりも評判が良く、個人技術はしっかりしていたが、チームワークでは日本が上。勝って不思議ではなかったが、南米側から見れば、驚くべき出来事といえた。
 10月16日、ガーナとの第2戦は日本が中1日、相手は中3日と、コンディションの面でまずハンデ。同じアフリカでもガーナは骨太の感じ。日本は鎌田をディフェンス・ラインの後方に置いて守りを厚くした。
 12分に八重樫がシュートしたボールをGKがリバウンド、それを杉山がゴールして1−0と先制した。しかし、28分には、相手のミドルシュートが日本ディフェンスの足に当たって、GK横山の逆を突いて同点にされた。
 後半に入り、日本が再びリードする。パスの交換から左の杉山に渡り、ここから中へ送って八重樫のシュートが決まるビューティフル・ゴール。2−1のここまではよかったが、68分にガーナは再びエリア外からのシュートを放ち、イレギュラー・バウンドしてゴール。このころから、日本の動きが目に見えて鈍くなり、センターフォワードのアグレイ・ファンに3点目を奪われた。
 これでD組はガーナ1勝1分け、日本1勝1敗、アルゼンチン1分け1敗となって、ガーナがこの組のトップ。日本は2位で準々決勝に進むことになった。相手はC組1位(3勝、12得点、2失点)のチェコ。会場はこれまでと同じ駒沢。他の準々決勝はドイツ対ユーゴ(秩父宮)、ハンガリー対ルーマニア(三ツ沢)、アラブ連合対ガーナ(大宮)となった。


(週刊サッカーマガジン2001年6月20日号)

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