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番外編 キリンカップとコンサドーレ札幌の練習場

小野のステップアップ

 キリンカップで日本代表はパラグアイとユーゴの各代表チームに2−0、1−0で勝った。相手がそれぞれのベストメンバーではなかったことと、こちらはホームでの試合という条件からいけば勝って当たり前だが、その“当然”をやってのけるのは立派なことだ。トルシエ監督とチーム全員、出場メンバーだけではなくバックアップした控え選手やスタッフの皆さんに“ご苦労さま”、“おめでとう”を贈りたい。
 今度のパラグアイ、ユーゴを招いてのシリーズでの見所の一つは、異なったタイプの相手に対する日本選手の対応だった。パラグアイは、GKチラベルトは別として、日本選手と変わらぬ体格が多く、短いパスをつないでのスピーディーな展開を好み、1対1のボールの取り合いに意欲的だ。彼らは第1戦でユーゴ代表を2−0で退けたが、彼らのキャラクターは生き、プレーヤーの動きの量でも速さでもユーゴを上回っていた。98年ワールドカップ・フランス大会でも活躍した、サイドのカニサの攻め上がりが目立ったが、そこから右へ振っておいて、その右からの短いクロスへ第2列がニアに走り込んでくる――いわば相手陣20メートル辺りでの揺さぶりが続く――クロスに対する詰め方にコンセプトがあるように見えた。
 もう一つのユーゴは、これまでに見てきた同国の代表からは、個人プレーもチーム全体も信じられないようなレベルだった。国際経験を積ませるために若い選手を主としているとのことだが、あらためてNATOの空爆や経済封鎖などの影響の大きさを感じた。と言っても、伝統的な粘着力のあるプレーと重量感は、決して楽な相手ではないように見えた。
 そうした両チームを相手に中田英寿を欠く日本代表は勝ちをつかむと同時に、接触プレーにもいい経験を積んだと思う。第1戦では小野が左サイドからのロングパスで相手ディフェンス・ラインの背後を突き、柳沢のファインゴールを生み出した。
 2点目は、彼が得意のトップ下のポジションへ持ち込んで作ったが、トルシエによって左サイドという、いわば中村俊輔と同じポジションを与えられた小野が、利き足の右だけでなく、左足での長いパスを使い始め、この試合で先制ゴールのアシストという実績を残したところが面白い。シドニー五輪の予選での負傷のつらい時期を乗り越えて、再びステップアップし始めた非凡の才能を見るのはとても楽しいことだ。


レストランと芝生のグラウンド

 札幌という北の国に生まれた巨大なドームも驚きだったが、試合の翌日、コンサドーレ札幌の練習場を見ることができたのは、さらに大きな驚きで喜びだった。
 岡田武史監督の熱烈な支持者であるKさんの案内で訪れたとき、ちょうど、川淵三郎チェアマンも視察中――。そのおかげで、更衣室からトイレ、フロ場、トレーニングジムまで、くまなく見せてもらった。
 コンサドーレ札幌の出資会社である石屋製菓の石水勲(いしみず・いさお)社長が、自らヨーロッパへ出向いて、トップクラブの施設を見学して回ったというが、まことに至れりつくせり。チョコレートで有名な会社であるだけに、女性ファンへの配慮もあり、この種の設備では珍しく、女性用トイレも広々としていたのだった。
 同社直営のレストランがスタンドの後ろに作られていて、コーヒーを飲みながら緑の芝と白いゴールポストを眺めると、ヨーロッパのフットボールクラブの雰囲気にひたることができる。


大繁盛、「白い恋人」

 石水社長に刺激されて、市も近くに芝生のグラウンドを建設中とか。「コンサドーレのために多額のお金を使ってもらって、まことにありがたいが、グラウンドの管理費など大変でしょう」というと、「いやご心配なく。チームに肩入れして6年になりますが、その間に売り上げは倍増しました。この練習場も周囲に置く看板広告、一口10万円ですが、年間4000万円あがるので、維持費も出るのですよ」と――。
 前日夜、Kさんたちのグループの集まりで、岡田監督への傾倒ぶりとコンサドーレ札幌への思い入れを聞かされた。それまでサッカーに縁のなかった「ものづくり」の名人たちが、いまや熱烈サポーターとなっていた。
 帰途、新千歳空港の売店で、何人かの女性が、カゴいっぱいに北海道銘菓「白い恋人」を買っているのを見た。なるほど、多くの支持を得て、サッカーは北の大地に根付き始めている。
 日本のスポーツ界の最高のアスリートの一人、南部忠平さん(故人、1932年ロサンゼルス五輪三段跳優勝)を生んだ土地から、きっとすごいフットボーラーが現れるだろうと思った。


(週刊サッカーマガジン2001年8月1日号)

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