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ローマ、東京、メキシコ(14)

アジア大会3位のカゲに

 1966年(昭和41年)12月、バンコクの第5回アジア大会のフットボール競技での3位(銅メダル)は日本がアジアのトップクラスに立った証でもあった。
 炎暑の土地での10日間7試合、しかも、エアコンディションのない選手村での生活は、日本選手には大きなハンデだった。第2戦で足を痛めた八重樫を見舞いに行ったとき、汗をいっぱい出しながらベッドに横たわっている彼を見ながら、一日くらい、市内の冷房の効いたホテルで休ませることはできないものか――と考えたものだ。
 そうした悪条件を乗り切ったのは、一つには長沼健監督(当時36歳)、岡野俊一郎コーチ(同35歳)たち若い指導者の下に結束した選手たちの若さだった。
 クラマーの技術教育によって回復した日本サッカーの伝統というべき動きの早さと量(これもある程度の技術があってのこと)は、ここでも生きた。反面、試合が重なり疲れから動きの量が落ちてきたときには、チームの威力は大幅に減退したことも確かだった。


岡野コーチのリポート

 岡野コーチはリポートの最後にこう記している。
「今回の大会では、日本は動きの良さとヨーロッパ的感覚のサッカーを武器にして戦った。東南アジアの諸国は十年一日のごとく、ドリブルとショートパスの古い型のサッカーをやっている。わずかにビルマ、そして中近東のイラン、イスラエルなどがわれわれ同様に新しい型のサッカーをやっているだけである。別の言葉で言えば質の違うサッカー、と言えるだろう。
 しかし質は違っても、そこで使われている技術はまったく同じである。したがって現在の日本は質の相違で技術の差――まだ個人技は東南アジアの方が上である――をカバーして勝っていると言えるだろう。(中略)
 現在の日本の選手の個人技では、ボールをこれ以上早く動かすことは難しいのではないだろうか。逆に言えば、現在の日本チームは構成している選手の個人技から考えて最大限のボールの動かし方をしていると言える。一言で言えば、壁にぶつかっていると言えるだろう。
 この壁を破り、さらに日本の力を伸ばすには何が必要か、答えは明らかである。選手の個人技をより高めることのみが力をさらに伸ばす唯一の方法である。より高い個人技の上に現在行なっている動きの良さを新しく組み込んだときに、初めて次の一歩が始まることになるだろう」


67年4月、釜本のヤンマー入り

 12月下旬に帰国して代表選手たちは所属チームに戻って、翌67年1月の天皇杯(1月12日〜15日、三ツ沢、駒沢)を争った。出場は日本リーグ上位4チームと、大学選手権上位4チーム。決勝は日本リーグ連覇の東洋工業と大学1位の早大という顔合わせになり、3−2で早大が勝った。
 キャプテン森孝慈と、同じ4年生の釜本の働きが素晴らしかった。釜本は足を痛めていて、FWのトップに出るのではなく、深く引いて中盤からロングパスを送り、若い細谷、野田、田辺、中村たちを走らせた。
 彼らの鋭い動きは東洋工業をたじたじとさせたが、小城、松本、桑原、今西ら東洋の中心選手は、バンコクでの疲労が取れていないようにも見えた。日本リーグによって企業チームのレベルアップが続くなかで、大学チームの天皇杯優勝はこの大会が最後になるが、釜本邦茂にとっては在学中2度目の天皇杯獲得。私には、キック力があってキープもできる釜本の長いパスの精度をあらためて知った試合だった。
 この年の4月、彼は早大を卒業してヤンマーディーゼルに入る。前年夏に、彼のヤンマー入りが決まったときに“杉山のいる三菱へ”と噂されていたのが、2年間下位を争っていた関西のチームだっただけに、驚きの目で見られたものだ。「関西に帰ってプレーを」という早大の先輩であったシュートの名人、川本泰三氏(故人・ベルリン五輪代表)の強い誘いに釜本の心が動いたのだが、「釜本1人でヤンマーが良くなるわけでもない。本人が苦しむだけでは」という声もあった。この意表を突くヤンマー入りが、2年後のメキシコ五輪得点王への布石の一つになる。


昭和41年(1966年)の出来事

◎1月 第44回全国高校選手権(長居競技場)は習志野(千葉)と明星(大阪)が決勝で引き分け(0−0)ともに優勝
    第45回天皇杯決勝(駒沢)は日本リーグの東洋工と八幡製鉄(現・新日鉄)の対決。東洋工がリーグ戦とあわせて2冠
◇2月 全日空ボーイング727機が着陸直前に羽田空港沖で墜落
◇3月 カナダ航空DC8型機が羽田空港で着陸失敗。爆発、炎上し死者64人
     BOACボーイング707機が富士山上空で空中分解、死者124人
     日本の人口が1億人を超える
◇4月 IOCが72年冬季五輪大会開催地を札幌に決める
◎6月 スターリング・アルビオン(スコットランド)来日
◎7月 日本代表、(旧)ソ連、西ドイツ転戦
    第9回ワールドカップ、開催国イングランド優勝
◎12月 第5回アジア競技大会(バンコク)サッカーで日本は3位
※ ◇社会、◎サッカー


(週刊サッカーマガジン2001年8月15日号)

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