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世界の“常識”を求めて(1)

ナイジェリア戦、ファウルと進歩

 日本代表の欧州“学習ツアー”の第1戦は、戦う姿勢に欠けていたから論外としても、第2戦の対ナイジェリアは個々のプレーヤーにもチーム戦術に戦う姿勢が見られ、ナイジェリア人の速さが、強い風雨のコンディションで、やや減殺されたこともあり、勝負としても面白く、楽しいテレビ観戦だった。
 一つ気になったのは、ナイジェリアに、相変わらずファウルの多いこと。ボールを奪う際に、ピッチコンディションもあったのかもしれないが、安易なホールディングや反則タックルが再三見られた。
 1968年のメキシコ・オリンピックで日本に3−1で敗れたナイジェリアが、その後の30年間に大躍進し、ヨーロッパのトップクラブにも優秀プレーヤーを送り込んでいるのに、まだワールドカップで上のランクに入れないのは、このあたりに問題があるのかもしれない。相手のボールを奪う、防ぐときのプレーで、その身体素質から見れば、必要のないファウルをすることで、自らの能力開発を遅らせているように見える。上手になるためにも反則プレーをしない――ことに彼らが気づくのかどうか。
 このことはナイジェリアだけではなく、日本にも当てはまる。
 国際舞台で、常に個人的な身体の能力で、どこか相手に劣るはずの日本選手は、組織プレーでの対応とともに、絶えず個人能力アップが課題となっている。その選手たちが、国内のリーグで体勢不利となった競り合いのときに、ファウルで相手を止めるのを見るたびに、もったいないと思う。
 かわされてもホールディングで止めずに反転して追う能力を国際試合で高めなければ、より個人力の上の相手と戦う国際舞台では通じにくい。
 志を高く持ち、Jにいても自らの努力でレベルアップすること――私が今回の欧州ツアーで“テレビ学習”したことの一つである。


社団法人神戸FC誕生

 さて1970年から新時代に入った日本サッカーは、伝統的な組織プレーのレベルアップとともに、個人の力の向上も強化の大きな課題とした。そして、そのためにコーチ制度を確立し、少年時代からの育成に力を入れることにした。
 同時に、日本の社会のなかでのサッカーの浸透をさらにすすめた。
 70年12月に、私たちの兵庫サッカー友の会は、社団法人・神戸フットボールクラブ(略称KFC)となり、日本で初の法人格、市民スポーツクラブとなった。そして、その記念事業の一つとして、ジュニア・フェスティバルを71年8月に神戸で開催した。
 東京から九州から、小4、小5・小6、中1の3部門のチームが集まって3日間、プレーを楽しんだ。日本協会が主催する全国スポーツ少年団大会のような規模ではないが、技術レベルの高い大会となった。中1という年齢層を入れたのは、小学校で経験したものが中学に入ると上級生の練習が主となるために、1年生の練習や試合の機会が減ってしまう、という当時の事情を考慮してのものだった。会期中、指導者のセミナーや研究会も設けられた。
 KFCの法人化の目的の一つは寄付を募りやすくするためと、もう一つ、常駐の指導者を置くために、世間から信用される組織となること――にあった。専門のコーチのもとで、週に4回はクラブの少年たちが練習できるようになったのだが、この少年を含め、会員の構成と、少年、青年、成人、壮年と年齢別に区分し、それぞれのチームを作ったのも大きな特徴だった。
▽12歳以下(ボーイズ)▽15歳以下(ジュニア)▽18歳以下(ユース)▽19歳以上(シニア)▽30歳以上(ベテランズ)の各チームは、のちに名称や年齢区分に多少の変更はあったが、サッカーを楽しむ会員の登録を年齢で分けたことは世界の常識に沿ったものではあっても、当時はまったく初めてのことだった。
 日本協会が年齢別登録となる(1976年)6年前のことだった。また同協会の法人化は1974年だからKFCはそれより一足早かったことになる。
 そのクラブ法人化とその後の運営で、会議、また会議と続くなかで、私は71年冬に、住居を尼崎・武庫之荘から京都に近い長岡町(現・長岡京市)に移した。


1971年(昭和46年)の出来事
◎1月 天皇杯決勝でヤンマーが東洋工業を1−0で破って3度目の優勝。
     西宮での第49回全国高校選手権(3日〜7日)は藤枝東が4度目の優勝。
◎4月 東京での第13回アジアユース選手権で、日本は準決勝で韓国にPK負け(24日〜5月5日)
◇5月 大相撲・横綱大鵬が引退、在位58場所で32回優勝
◎5月 トットナム・ホットスパー(イングランド)来日。日本代表に3戦全勝(29日〜6月9日)
◇8月 米、全ドル支援一時停止(ニクソン・ショック)
◎8月 社団法人・神戸FC主催第1回ジュニア・サマーフェスティバル(27日〜29日)
◎9月 ミュンヘン・オリンピックアジア東地区予選(ソウル)の4ヶ国リーグで2勝2敗の敗退
◇12月 米軍の北ベトナム爆撃再開
※ ◎サッカー、◇社会


(週刊サッカーマガジン2001年10月31日号)

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