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番外編 高い位置でのプレスに日本代表5年の積み重ね

稲本−柳沢の先制ゴール

 西下する「ひかり201号」から右手に見る富士山が美しかった。白雲を冠し、大きくすそ野を広げた姿はいつも見る者を幸福にしてくれる。前日の11月7日、新大阪発午後1時53分の「のぞみ16号」で東上するときにも、びわ湖を囲む山々の色づきとともに、芦屋−浦和間往復24時間の“とんぼ帰り”の旅は楽しみがいっぱいだった。
 その忙しい旅の目的、「キリンチャレンジカップ2001 日本代表対イタリア代表」は、セリエAのスターたちが過密日程と柔らかい芝などの悪条件を背負いながらも、懸命にプレーしたうえでの1−1だったから、日本代表にも、埼玉スタジアムに集まった6万1833人にも、テレビ観戦者にも、申し分ない催しだった。
 イタリア代表を本気にさせたのは、日本の先制ゴールだった。柳沢のゴール正面7メートルあたりからの右足ボレーだったが、左サイドでの小野とモリシのパス交換から、奪われたボールに小野が粘ってからんでいき、それを稲本が奪い返してすぐにゴール前へボールを送り込むと、それが柳沢の動きにピシャリと合ったのだった。


高い位置のプレス
 試合前、プレスルームからスタンドの記者席へ上るエレベーターの中で、加茂周・元日本代表監督に会った。周さんは「勝つチャンスですよ。ただし、先に点を取られたら(イタリアが守りに入る)試合はつまらなくなる」と言っていた。
 当時、彼が監督となって2年目の5月にユーゴ代表チームが来日したとき、その“骨抜き”の顔ぶれを見て、「こんなメンバーを招いても…」と僕が言ったら、周さんは「ベストで来られたら、こちらが大変ですよ」と答えたものだった。
 しかし、それから5年余り、ベストメンバーに近く、しかもワールドカップの予選を経て、チームとしてまとまっているイタリア代表を迎えて「勝つチャンス」と言えるまでに、日本代表は成長してきたということだろう。
 そして、その日本代表の先制ゴールのアプローチ、「高い位置でプレスをかけてボールを奪い、素早く攻撃展開をする」というのは、周さんが就任以来、日本代表に植えつけようと努力してきたこと。ワールドクラスのチームを相手に(彼らのコンディションがどうであろうと)、日本中の見ている前でのビューティフル・ゴール成功は、先人たちの努力の上に、若い力の成長が加わったものと言えた。
 生のイタリア代表の試合は、74年のファッケッティ、マッツォーラたちのチームから、ワールドカップや欧州選手権でずっと眺めてきた。
 カテナチオの60年代以来の彼らの守備センス、危険地帯を感じてカバーする能力、1対1の競り合いにおいて身体を寄せる早さ、そして寄せてからの粘っこさは伝統的で、しかも近年ではボールテクニックが高いうえに、耐久力も備わっていることは、今度のチームの試合ぶりでも見られた。
 彼らの守備の読み、その粘着力は丸ごとでなくても、少しは見習うべきだろう。FWに人材がいるという今度のチームだが、後半にトッティに代わって投入されたドニは、トラパットーニ監督にとってもうれしい発見だったはず。トップ下で使ったが、右サイドへ出たときのキープ力は82年優勝のときのコンティ的役割を果たすかもしれない。


おすし屋さんでも

 日本代表では中田英の調子がもう一つだった。小野は守りの読みも良く、身体を張ることに慣れが見えるだけでなく、1対1の自信から、パスを出す際の読みも、一つ上のクラスになったように見えた。
 これほどにボールを自在に扱える選手は、あとはレベル次第に上達していける(努力はもちろんいるが)モデルといえるだろう。彼だけでなく、日本選手に競り負けない気持ちが出ていたのがいい。
 シャトルバスで浦和駅前に着いたのが、午後の11時前と遅くなっていた。駅前の高砂町2丁目の「勇鮨」と看板のある店のガラス戸を開けると、客のなかにTさんがいた。帝京高、三菱でプレーし、いまは用具の大メーカーの販売のエキスパート。彼と仲間たちと話が弾むなかで、店の主(あるじ)の息子さんが、武南高校の選手と聞き、ご主人にマガジン読んでますよ、と言われて恐縮する。そういえば、スタジアムでも「20年前から読んでいる」と声をかけてくれたKさんもいた。
 店を出るとき、カウンターの片隅でチビリチビリとやっていた常連らしき一人が笑顔を向けて、「いい試合でしたね」――。
 やはり埼玉はサッカーどころ――うれしくなった。


(週刊サッカーマガジン2001年11月28日号)

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