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世界の“常識”を求めて(4)

日立が優勝、オープン化天皇杯

 1973年(昭和48年)は、日立製作所の天皇杯優勝で幕を開けた。この第52回天皇杯は、オープン化の初年度の大会でもあった。
 1965年に日本サッカーリーグが誕生して以来、リーグの上位4チームと大学選手権の上位4チームによるKO(ノックアウト)システムで争われてきたのだが、もともとサッカーの母国、イングランドのFAカップに倣ってのものなので、協会加盟のすべてのチームが参加できるものにしようとの気運が高まっていた。
 都道府県の大会から地域大会を経て、決勝大会へ勝ち上がっていくという組織作りは、準備期間も必要であり、この72年度の第52回大会(決勝は73年1月1日)は、各地域でそれぞれ予選を行ない、日本リーグ1部の8チームとを含めた24チームによる決勝大会を行なったのだった。
 地域大会を勝ち抜いたチームは、いずれも2回戦で敗退。日本リーグチームは準々決勝で、ヤンマー、東洋工業、日本鋼管、日立が勝ち残り、72年日本リーグ優勝の日立と、同2位のヤンマーの決勝となった。試合は釜本邦茂のシュートでリードしたヤンマーを追って、日立はカウンターから山口芳忠が、同点ゴール。後半に野村六彦のクロスを松永章がヘディングで決めて2−1とし、ヤンマーの攻撃を身体を張った守りで防ぎ切った。
 日本代表監督をも経験した老練な高橋英辰によって作られた“走る”日立は、“個人技アップ”を掲げるヤンマーとともに、サッカー界に強い刺激を与えた。
 もっとも、代表チームはメキシコ・オリンピックから7年、新旧の入れ替えのなかでレベルアップの歩みは遅く、5月のワールドカップのソウルトーナメントでは、1次リーグA組で2位となり、準決勝でイスラエルに敗れてしまった(延長の末の0−1)。
 イスラエルは決勝で韓国に敗れ、その韓国もまたアジア・オセアニア決勝でオーストラリアに敗れた。日本代表のこの対イスラエルのメンバーでは、メキシコ・オリンピック組は釜本と小城得達とGK横山謙三の3人だけだった。


サンケイスポーツ独立体制

 日本のサッカーが内政面で天皇杯を改革し、協会そのものの財団法人化を進めようとしているとき、私の職場の環境にも変化があった。産経新聞社のなかで、サンケイスポーツを発刊していた組織を、別個に独立した会社にするための準備に入ることになった。
 長尾幸太郎(故人)が新しく編集局長になり、大阪代表を兼ねる。私は局次長として、仕事は従来の記者ながら、経営にも目を向ける。何しろ、鹿内信隆(故人)という卓越した経営者の戦略は、分割できるものはして、それぞれに責任を持たせて独立採算にすることにあるのだから、私も新聞を発行するための費用や広告や事業にも気を配って、増収増益を考えることにもなる。


業界ビリからの脱出

 お金の勘定が好きでないために、神戸商業大学(神戸大学)に入りながら、結局は別の道を歩んで、好きなスポーツとその新聞を作ることを楽しんでいたのに、50歳近くになって好きでもないものもやらなければならないのか――。
 考えてみれば、中学3年のときに、不得手な左足のキックを、シューティングボードを相手に繰り返して、何とか格好をつけ、左のシュートでも得点するようになったのだから、それと同じことかもしれない。
 サンケイスポーツという新聞を一人前にしなければ、自分が立つところもなくなるのだから――。
 入社以来20余年、スポーツを見てそれを書くことで、飛び回ってきた。冬のスキー、スケート、アイスホッケーから、夏の高校野球、もちろんプロ野球もボクシングも大相撲も陸上競技も水泳も……そしてサッカーは書くだけでなく、日本での普及を心がけてきた。
 そうしたことに夢中だったから、この新聞がどれくらい売れ、このスポーツ紙の経営がどうなのかまで、考えることはなかった。
 大阪発刊から17年、東京ではわずか10年、スポーツ紙業界で新参のサンケイスポーツは、販売部数でも一番低いと聞かされた。
 人手は不足、社内環境は劣悪ななかで、ともかく、やろうじゃないかということになった。


1973年(昭和48年)の出来事
◎1月 オープン化をスタートさせた第52回天皇杯決勝で、日立製作所(現・柏)がヤンマー(現・C大阪)を2−1で破り日本リーグ2冠(1日)
◇3月 南ベトナムから米軍の撤退が終わる
◎5月 ソウルでの74年ワールドカップ予選で日本はA組で1勝1敗、準決勝でイスラエルに延長0−1で敗退
◎6月 西ドイツから1FCケルンが来日。日本代表と3戦3勝(26日〜7月3日)
◇7月 日航ジャンボ機、パレスチナ・ゲリラにハイジャックされる
◎7月 第9回日本サッカーリーグ開幕。8から10チームに増加。優勝は三菱重工
◇10月 ペルシャ湾岸6ヶ国が原油価格21%引き上げ。石油生産制限、供給制限決定
※ ◎サッカー、◇社会


(週刊サッカーマガジン2001年12月5日号)

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