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世界の“常識”を求めて(8)

大谷氏の回復

 1975年(昭和50年)は神戸フットボールクラブ(KFC)にとっても、その経営する神戸少年サッカースクール(KSS)の創立10周年でもあった。
 うれしかったのは、大谷四郎氏が回復し、KFCの青年部(ユース、U−18)の部長となったこと。前年1月に視神経治療のため、手術を行なった後だったが、1年あまりを経て、グラウンドに立って直接指導にあたるまでになった。1918年(大正7年)4月23日生まれ、神戸一中の37回生(つまり私より6歳年長)のこの先輩は、旧制の一高−東大を経て、大戦中は海軍の主計科士官としてラバウルにいた。1946年5月に帰還し、朝日新聞社に入り運動部勤務でスポーツ一筋だった。
 1973年に定年退職後も朝日新聞社の嘱託として記事を書いていた。トップのプレーヤーとしても、シュートが上手で、ゴールの取れるFWとして活躍した。鋭い解析と理論の組み立てでは、若いころから先輩たちにも一目置かれていて、大戦後すぐの関西協会の規約改正では、田辺五兵衛会長を助け、KFC創設時の規定作りには、加藤正信専務局長の知恵袋となっていた。
 視神経に異常が発見され、東京オリンピックの1年前に手術をして、1974年1月の手術は2回目だった。70年ワールドカップ・メキシコ大会を取材し、この年の西ドイツ大会も楽しみにしていた。しかし残念なことに行けなくなったのだが、グラウンドに立ってKFCの青年部の練習にも顔を出せるようにまでなったのだから、何よりだった。この人に接することで、KFCを背負う加藤寛をはじめ、多くの若手が啓発されたはずだから…。


高校選手権の移転

 1976年は、関西での最後の高校選手権大会となった。大正7年に日本フートボール大会としてスタートしたこの大会は、主催の毎日新聞社と関西協会の努力によって、全国規模の大会となったが、より盛大にするためという名目で、首都圏に移すことになっていたのだ。
 74年ワールドカップ・西ドイツ大会のとき、フランクフルトからベルリンへ向かう飛行機に乗り合わせた日本テレビの坂田信久プロデューサー(現・東京ヴェルディ1969社長)から、この話を聞かされた。関西人たる私が承服するわけはなく、仲間とともに反対もしたが、東京オリンピック以来の一極集中の強い流れに対して、関西の力は弱いものになっていた。
 このいきさつを語るには、紙数が不足だが、経済的にも地盤沈下の関西が、この高校選手権の開催地移転で、それまでのスポーツ界で辛うじて東京と張り合うことができた唯一のサッカーでも、低落傾向に拍車をかけることになる。


奥寺康彦の台頭

 もっとも、この首都圏移転も別の見方をすれば、サッカーの新時代の動きの一つといえる。
 その新時代の顔に、この年ブラジルでの3ヶ月留学で力をつけた奥寺康彦があった。もともと持っていた“身体の強さ”にキレが加わり、スピードは目を見張るほどになった。モントリオール・オリンピック予選に間に合わず、アジア第3地域で対フィリピン2勝、対韓国1分け1敗、対イスラエル2敗に終わった。しかし、彼を加えて日本代表は8月のムルデカ大会で決勝に進出し、久しぶりに準優勝した。そこで奥寺は、7ゴールで得点王。釜本は奥寺や永井を生かす側に回り、自らもゴールした。新しく監督に就任した二宮寛のアイディアだった。
 この年の日本リーグは8月末に始まり、天皇杯を挟んで翌年2月に終わるという形式になった。前期、後期に分けて、その中間に日本代表の強化期を置く、これまでとは違ったものにした。秋から冬へという欧州のシーズンにも倣い、また長期のシーズンということにした。
 若い力の充実した古河が、この長期戦を乗り切り、77年の元旦決勝で天皇杯をとり、ロングランの日本リーグも優勝した。
 メキシコ世代の象徴であった釜本邦茂が代表を去る日も近づいていた。


1976年(昭和51年)の出来事
◎1月 天皇杯元旦決勝、日立2−0フジタ
     関西最後の全国高校選手権で浦和南が優勝(3〜8日、長居、うつぼ)
◇2月 ロッキード事件が表面化
◎3月 モントリオール五輪アジア第3地区予選で日本は敗退
◇7月 ロッキード事件で田中角栄前首相が逮捕
◎7月 モントリオール五輪サッカー決勝、東ドイツ3−1ポーランド
◎8月 第20回ムルデカ大会で日本代表準優勝、奥寺康彦が得点王。
     この年の日本リーグは28日に開幕。第14節(11月28日)と第15節(77年1月15日)の間に天皇杯を挟み、77年2月6日に第18節を終えるというスケジュールで行なった。優勝は古河電工=初
◇9月 中国共産党、毛沢東主席死去(9日)
※ ◎サッカー、◇社会情勢


(週刊サッカーマガジン2002年1月9・16日号)

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