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世界の“常識”を求めて(11)

ニッポン、チャチャチャ

 1979年の第2回ワールドユースの開催は、この世代の日本のサッカーファンには大きな刺激となったが、成績はグループリーグAで2分け1敗、第2ラウンドへは進めなかった。
 少年層への浸透も進み、高校選手権大会は首都圏開催になって、よりいっそう華やかになり、高校生年代の海外との交流も多くはなっていたが、実際に世界のレベルと比べてみると、大きな開きがあった。
 私自身は若きマラドーナ(アルゼンチン)の才能をナマで見ることができたことは、まことに得がたいチャンスだった。ラモン・ディアスのカミソリのような切れ味も魅力的だった。ボールを受けてドリブルし、フィニッシュに得意の左足を使うのだが、そのために得意の角度でのシュートスペースを空けておく巧さが、すでにこの年代で身に付いていた。世界レベルでは当然のことながら、日ごろ国内では見ることの少ないプレーを17歳のプレーヤーに見せ付けられるのだから。
 パラグアイのロメロはアルゼンチンの二人に比べるとスピードに欠けたが、カーブキックを用いるFKや、パスのうまさが目立った。
 成績はともかく、サッカーマガジンの呼びかけに応えて日本サッカー狂会をはじめとする熱烈なファンのおかげで、日本の試合には「ニッポン、チャチャチャ」の大声援が沸いて、まことに素晴らしいスタンドの盛り上がりとなり、この大会以降、国立競技場での日本代表の試合は、他の競技場とは隔絶した雰囲気となった。


初の欧州選手権

 次の年、80年(昭和55年)の6月、私はイタリアに飛んだ。欧州選手権がこれまでと異なり、地域予選を勝ち抜いた7チームと開催国を加えた8チーム参加となり、欧州8強のナショナルチームを見る絶好のチャンスだった。
 日本は直接には関係のない欧州連盟(UEFA)のトーナメント(大会)だから、会社の出張というわけにはいかない。幸い、79年の暮れに満55歳になり社員として定年がきていて、退職金を頂戴したこともあり、集う国が西ドイツ、チェコ、オランダ、ギリシャ(グループリーグ1組)イングランド、ベルギー、スペイン、イタリア(同2組)と知れば、いても立ってもおられない気持ちになってしまった。
 試合の一つひとつは素晴らしいものもあれば、やや退屈するものもあったけれど、西ドイツのルムメニゲにとって最高のシーズンであったこと、また大器シュスターのひのき舞台でのデビューに出会い、前の年に見た南米の天才マラドーナとこの欧州の俊才とを比較できたのは、とても幸いだった。
 このイタリア紀行をサッカーマガジンに「わが内なるイタリア、80年欧州選手権の旅」として連載。トリノのスペルガの丘に落ちたFCトリノの飛行機事故を30年以上たっても忘れずにいるイタリア人のシンパチコ(相手を思いやる心)やパオロ・ロッシが巻き込まれた八百長事件、あるいはフィレンツェの「歴史的カルチョ」、そしてまたバーテンダーがビンの栓を抜く「形」にこだわり、魚の骨を外すウェイターのナイフとフォークを使う鮮やかさとプレーヤーのフォームの美しさなどなど――を語るのは、いま思い出しても楽しい経験だった。


釜本がユニセフ世界選抜に

 日本リーグは監督兼任3年目の釜本のヤンマーが優勝した。
 彼自身がゴール前で得点に絡むことに徹し、チーム内にもそれぞれの仕事の役割を明確にしたのが良かった。オールラウンドとか、トータルフットボールという言葉にとらわれがちな傾向のなかで、シンプルに考え直したのが成功した理由だったのだろう。
 リーグ終了直後の12月にバルセロナFCの創立記念事業の一つに、世界選抜チームとバルセロナとのユニセフ基金のチャリティ試合があり、日本のスターとして釜本の参加要請があった。
 この話は6月にイタリアで知り、世界選抜の監督が、釜本のドイツ留学(68年)のときの恩師ユップ・デアバル、ドイツ代表監督であることも聞いていた。
 日本協会の意向を受け入れた山本浩二郎、ヤンマー総監督の計らいで、「カマモト」はクライフ、プラティニ、ボンホフなどとともにユニセフ世界選抜でプレーした。


1979年(昭和54年)の出来事
◎1月 天皇杯決勝で三菱が東洋工業を破り(1−0)5年ぶり3度目の優勝。JSLカップ、日本リーグと合わせて初の三冠
     高校選手権決勝で古河一高が、室蘭大谷高を破り(2−1)初優勝
◇1月 国際石油資本が日本への原油供給削減を通告(第2次石油ショック)
◇5月 英国の総選挙で保守党が勝ち、サッチャー夫人が初の女性首相に
◎8月 第2回ワールドユース大会を日本で開催
     日本代表はAグループ、2分け1敗で準々決勝へ進めず
◇11月 テヘランで学生団が米国大使館を占拠。大使館員人質に、前国王の引渡しを要求
◎3月 日本リーグはフジタが2年ぶり2度目の優勝。ヤマハが2部から1部に昇格
 〜12月
※ ◎サッカー、◇社会情勢


(週刊サッカーマガジン2002年2月6日号)

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