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世界の“常識”を求めて(21)

感動的なJリーグの開幕

 1993年は日本サッカーの新しい夜明けと言える年になった。
 5月15日、東京・国立競技場でJリーグが開幕した。感動的なオープニングセレモニーに続くヴェルディ川崎と横浜マリノスの試合に5万9626人の観衆が酔い、NHK総合テレビで視聴率32.4%という高い数字を記録した。
 地域密着型“地域に根ざしたスポーツ”という理念が多くの人の共感を呼び、メディアの共鳴を得たこと、前年からの日本代表のアジアでの好成績、さらにはこの年に入っての94年ワールドカップ・米国大会アジア第1次予選の突破も、人気上昇につながった。
 日本のスポーツメディアの大きな比重を占めるプロ野球に新しい話題がなかったことも、プロサッカーへのテレビ、雑誌、新聞の傾斜、報道量の増加につながった。
 日本経済の大きな流れから言えば、地価高騰による異常な好景気はすでにはじける寸前まできていて、一部ではバブル崩壊の兆しはあったようだから、93年のJリーグのスタートは、タイミングとしてまことに絶妙であったと言える。
 日本協会、特に川淵三郎Jリーグチェアマンを中心とするグループの決断と、そこから開幕に至るものすごい量の仕事の一つひとつをチェックしつつ進む行動力はたいしたものだった。
 開幕直前の報道関係者との集まりの華やかな演出を見ながら、日本協会の長沼健会長(現・名誉会長)が「サッカーも変わった」とつぶやいた。
 長沼会長と岡野俊一郎副会長(現・会長)らの当時の若い勢力が、東京オリンピックの翌年に日本サッカーリーグを立ち上げたとき、理想家であり実務家の彼らがどれだけの量の仕事をこなしていたか――。30年前の推進力であった会長の感慨は、同時に“サッカーを変えた”チェアマンたちの後輩グループに対する賛辞であったかもしれない。


すべてが人気上昇へ

 試合の中身もプレーヤーのプロ意識によって大きく変わり、ジーコやリネカーをはじめとする海外からの選手の高い技術と、選手たちの気迫あふれるプレーはテレビを通じて新しいサッカーファンを獲得した。
 ジャパンの頭文字をJと呼んだネーミングは成功した。そのほかやたらに多いカタカナ。例えば第1ステージをわざわざファーストステージと呼び、また各チームのニックネームの分かりにくい合成語は年配の人たちを困惑させることもあったが、Jリーグはあっという間に日本中に浸透してしまった。


朝日新聞とSさんの企画

 ファーストステージで鹿島という小さな町が優勝したのもプラスになった。
 そしてまた秋のカタールの悲劇さえも人気上昇のきっかけの一つとなる。ワールドカップ・米国大会予選での敗退。最終戦の土壇場で同点ゴールを決められたイラク戦。その失敗を責めるより同情の声のほうが高かったのだった。
 そうした潮流のなかで、私の仕事も変わっていった。Jのマッチコミッサリーもその一つだったが、ものを書く“場”も移っていった。
 サッカー仲間のあるグループが東京の朝日新聞と組んで出版物を出すのに協力することになった。出版物は成功より失敗の例を数多く見ている。Jのスタートと同時に数種類のサッカー専門雑誌が発刊されることも知っていた。
 古くからなじみのサッカーマガジンで書かせてもらうのが一番だろうが、あえて火中の栗に手を出したのは、読売新聞のほかに朝日新聞のような力のある活字メディアがサッカーに踏み込んでくれればと思ったからだった。それにこの会社の販売局にいて、企画の中心にいたSさんの熱意と人柄に感銘したからでもあった。JLEV(ジェイレブ)と名づけられた雑誌は2年間続いたのちにSさんが病で部署を変わるとともに休刊となり、病状の重くなったSさんは程なく亡くなった。
 朝日新聞という大きな会社全体の目をサッカーに向けさせようとしたSさんは、いま天から2002年ワールドカップのオフィシャルサプライヤーとなった朝日新聞を眺めているだろう。


1992(平成4)〜1993(平成5)年の出来事
◎1月 天皇杯決勝で横浜Mが延長でV川崎を破り、前身の日産と合わせ6回目の優勝
    高校選手権決勝で帝京と四日市中央工が2−2の引き分け。両校優勝に
◎3月 前年9月からこの3月29日までのJSLの最終年は、読売クラブが優勝(5回目)
◎6月 欧州選手権(スウェーデン)でデンマークが初優勝
◎8月 北京でのダイナスティ・カップで日本が初優勝。アジアで初のタイトル
◎10月 広島で開催されたアジアカップで日本が初優勝
◎93年1月 第70回天皇杯で松下電器が日産を破って初優勝(0−0。延長、PK)
      高校選手権は国見が京都の山城を退け3度目のチャンピオンに
◎4月 94年ワールドカップ・米国大会アジア1次予選を日本は7勝1分けで突破
◎5月 15日にJリーグスタート。ファーストステージは鹿島、セカンドステージ、チャンピオンシップはV川崎が勝った
◎10月 カタールでのワールドカップアジア最終予選で日本は最終戦を2−2と引き分け
※ ◎サッカー、◇社会情勢


(週刊サッカーマガジン2002年4月17日号)

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