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世界の“常識”を求めて(23)

夢を砕いた大地震

 1995年1月17日、朝5時少し前に起きた阪神大震災は、私のささやかな夢を根こそぎに崩してしまった。
 70歳になったら、これまで集めた資料を整理しようと考え、94年の3月にJR芦屋駅の近くの賃貸マンションを一つ借りた。90年に京都から転宅したときに、運びこめなくて友人宅などに預けておいた分も一ヶ所に集めた。コピー機も買った。サッカーマガジンをはじめとする雑誌や新聞で活字になった自分の書きものをまとめておきたかった。
 日本サッカーの先輩たちや、クライフやキーガン、ソクラテスをはじめトップクラスのプレーヤーたちとのインタビューの録音や、ワールドカップや欧州選手権などのビッグトーナメントのときの現地の新聞なども、改めて聴きかえし、読み直してみたい。書籍類が棚に収まって生まれた小さなスペースは、サッカーを語り合うサロンにしよう。
 そんな計画だったのだが……。
 昭和49年以降、新潟大地震でコンクリート建設の耐震規準が厳しくなる前の7階建て、しかも1階が車庫になっていて壁がないのは構造的に弱いのだと、倒壊してから教えられた。
 火事にならなかったから資料は無事だったが、鉄道の復旧工事のために、倒れかかったコンクリートの建造物は取り除くのだと、3月に除去が始まる。倒れなかった山芦屋の住居に運ぶにはスペースがない。貸金庫の類(たぐい)も満員とあって、持ち出したのは3分の1ほどだった。


ウェンブリーと日本代表

 自分の寝る家はあったから、避難所暮らしも経験せず、被災者としてはまだいい方だった。しかし、400冊に及ぶサッカーマガジンをはじめ多くの資料が残っている建物を大きな鉄球が叩いて、取り壊し始めたときの無念さは、言いようがなかった。
 資料だけでなく、軌道に乗り始めた私の企画会社の仕事にも影響は出た。イベントの取り止めもあった。
 東京では、サッカーバブルの崩壊という声も出始め、私がかかっていた雑誌『ジェイレブ』も休刊となる。
 そんな、行き詰まりの気分を変えてくれたのがイングランドへの旅。96年の欧州選手権開催を控えたイングランドが、そのリハーサルとして、各大陸のナンバーワンを招いての国際大会を開き、アジアナンバーワンの日本も招待された。
 加茂周監督とイレブンは、95年6月3日、ウェンブリーでイングランドと対戦(1−2)。次いでリバプールでブラジル(0−3)、ノッティンガムでスウェーデン(2−2)と戦ったが、私には試合そのものの面白さとともに、久しぶりのサッカーの母国は心の安らぎと活力を取り戻す旅となった。


引き潮の中に上げ潮が

 私個人の困難な生活とは別に、日本サッカーもまた引き潮にかかろうとしていた。
 Jリーグも3年目になると、殺到したメディアは手を引き始める。試合のある土曜日にテレビ中継がいっせいに行なわれれば、一局の視聴率が上がらないのは当然(かつての大相撲がそうだった)。また活字メディアも10種近くの雑誌が出版されれば、パイの取り合いとなって部数は伸びない。初めは売れに売れたグッズも、一つの町に何軒ものショップを作り、どこにでもあるとなれば、これも頭を打つ。売れそうだと殺到したものが、いっせいに手を引き始めるときには、自分たちの過当競争を理由にせず、その対象(ここではサッカー)の魅力のなさを口にする。そして「日本はまだ世界から見れば」という通人の言葉が、初めは熱狂した人たちの耳に心地よい魔女のささやきとなる。
 30年近く前にあったアマチュアの日本リーグのときの社会現象の繰り返しが始まろうとしていた。
 そして日本代表の監督を加茂周なのか、ブラジルの××なのかという論争までが、日本協会の不手際という大合唱に変わってゆく。
 そんな引き潮の兆候のなかで、すでに上げ潮は始まっていた。正月の高校チャンピオン、市立船橋の選手たちは、チームでの自分や仲間の役割を心得ていて、これまでの「オールラウンド」とは違っていた。ワールドユースやU−17世界選手権で若い日本代表は、世界の舞台でプレーするようになり、次代を担う素材が育ち始めていた。


1995年(平成7年)の出来事
◎1月 第74回天皇杯決勝でベルマーレ平塚がセレッソ大阪を2−0で破ってフジタ工業時代と合わせて3度目の優勝
◇1月 阪神大震災
◎2月 日本と韓国が2002年ワールドカップの開催地の立候補をFIFAに申請
◎6月 イングランドのUMBROカップ国際大会に日本代表が参加(1−2イングランド、0−3ブラジル、2−2スウェーデン)
◎3〜7月  前年より2チーム増の14チームとなったJリーグのファーストステージは横浜マリノスの優勝
◎11月 日本協会は任期切れの代表チーム監督に加茂周を決定
※ ◎サッカー、◇社会情勢


(週刊サッカーマガジン2002年5月1日号)

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