賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >世界の“常識”を求めて(25)

世界の“常識”を求めて(25)

ワールドカップ前の悲しみ

 ワールドカップを間近に控えた4月に、二つの訃報があった。4月2日に神戸一中の仲間であり、日本代表のDFでもあった杉本茂雄(76)が去り、10日後には兵庫県協会の高砂嘉之会長(74)が逝った。
 1954年の最初の日韓戦のメンバーだった杉本君は、親の代からの“阪急人”で、面倒見の良い彼のおかげで同時代のわれわれの集まりが続いていたのだが…。
 高砂会長は、会長在職は10年だが、1974年の理事長の頃から、兵庫県協会の中心となって、いささか退潮傾向のあった兵庫のサッカーの興隆を図った。いまの兵庫協会の充実ぶりは、この人が協会にかかわった30年間の成果だったが、95年の大震災があっただけに、ヴィッセル神戸の立ち上げや、ワールドカップの会場建設などにも、心労が多かったに違いない。ワールドカップを控えて、兵庫県協会は独自に市民のためのフォーラムを開催したが、2月24日、淡路島の浅名町での催しには、わざわざ出席してもらった。4月14日のフォーラム最終回は、葬儀の当日となった。


ユニフォーム展とカチ バチ

 仲間を見送る心の痛みの後に、新しい催しが二つ続いた。神戸の六甲アイランドにあるファッション美術館での「世界のユニフォームと伝統衣装展」(4月18日オープン)と、北海道の大沼公園近くに作られた北海道のサッカーの守護神「カチ バチ(KACHI BACHI)」の除幕式(4月19日)。
 前者はファッションアート協会の若いメンバーの企画に多少のヒント(監修ということで)を出した。後者はJR北海道が新しく開発した流山温泉(ながれやま・おんせん)のプロデュースを引き受けた石の作家、流政之(ながれ・まさゆき)が、はるか昔に駒ヶ岳(こまがたけ)の噴火によって落下し、地中に埋まった巨石を掘り出し、石の公園を作った。そのうえに、彼のシンパであり、コンサドーレ札幌の熱烈ファンである勝美渥(かつみ・あつし)たちの願いを入れて、高さ5.47メートル、重さ4トンのKACHI BACHIを建て、コンサドーレ札幌の“応援彫刻”としたもの。
 流氏と私は、55年以上も前からのつきあいで、このクロニクルにも何度か登場した。あの9月20日の同時多発テロで倒壊したニューヨーク貿易センタービルにも、彼の作品があったのは有名な話――。
 その偉大な作家がサッカーのために作った、というので函館へ飛び、車で駆けつける。


大景観と彫刻の調和

 何より素晴らしいのは、「北形列石(きたがたれっせき)ストーンクレージー」と称する石の公園の一帯の景観、西に駒ヶ岳の雄大な山容と大沼を望み、東の小高い流山の斜面に利して並ぶ巨石と、石彫のバランスの妙――。それとはまったく違う、三味線のバチを模したコルテン鋼製、コンサドーレカラーの朱色が立つ姿には、うーんとうなってしまう。
 石彫と自然石と巨大な赤い「カチバチ」がそれぞれ個性を主張しつつ、景観と調和する見事さは、まさにサッカーの上質のチームに通じる。
 周囲の林はまだ葉を落としたまま。これもいいが、ワールドカップのころ緑の中でのストーンクレージーとKACHI BACHIを見てみたい。いや、世界中からやってくるサッカーファンやプレス関係者にも、ぜひ見てもらいたいと思う。
 1882年スペイン大会の公式ポスターは、あのミロが描き、さらにマドリードのプレスセンターとなった大ホールの壁画も彼のものだった。日本の北の大地にサッカーが根付いたことを告げるこの彫刻は、何百年のちまで、駒ヶ岳と向かい合って立つだろう。ワールドカップにまた新しい芸術が加わった。
 先立った人たちにも見てもらいたかった。


 さて、連載の方は、本来なら今回は1997年、あのフランス・ワールドカップの予選の年。秋の最終予選は一喜一憂し、11月16日、シンガポールでのイランとのプレーオフ、延長での中田英寿のシュートのリバウンドを岡野雅行が決めた瞬間を覚えている人も多いことだろう。次回はそのエピソードと98年の本大会に移りたい。


1996年(平成8年)の出来事
1月 第75回天皇杯決勝で、名古屋が広島を破って優勝
   第74回全国高校選手権決勝で、静岡学園と鹿児島実業が2−2の引き分け、両校優勝
5月 2002年ワールドカップの日韓共催決定
6月 イングランドでの欧州選手権でドイツが優勝
7月 アトランタ五輪男子サッカーグループリーグで日本はブラジルを破ったが、2勝1敗で得失点差で敗退。女子はグループリーグ第2組の最下位
※ ◎サッカー、◇社会情勢


(週刊サッカーマガジン2002年5月15日号)

↑ このページの先頭に戻る