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世界の“常識”を求めて(27)

第2ラウンド、16強

 ワールドカップ開催を間近に控えて、私に朗報が一つ。キリンカップサッカー2002のプログラムの中での2002年ワールドカップの日程で、16チームの勝ち抜き試合の組合せを「セカンドラウンド」と正しく表記されていたこと。JAWOCの印刷物以外は、これを「決勝トーナメント」と間違って記しているところが多いが、これを機会に正しい名称が使われるだろうと思う。
“トーナメント論”はこの連載クロニクルの第46回(http://www.fcjapan.co.jp/scripts2/ksl/story.php?story_id=883)にも述べているから、ここでは重複を避けるが、最近のテレビ放送で韓国の元代表選手が、自分たちの代表への期待の談話で「16強までは、いってほしい」と語っていた。韓国人の通訳さんだったからだろうが、決勝トーナメントと言い続けているこの局のアナウンサーたちにも聞いてほしい談話だった。
 さて、98年のフランス大会初出場は、日本のサッカー界に活気を与え、Jリーグの入場者も前年は1試合平均が1万131人だったのが、1万1982人と、上向きに転じる。


U−20の快挙、銀メダル

 99年の元旦の天皇杯は、横浜フリューゲルス初優勝、マリノスに合併されるクラブの選手たちの最後の頑張り、日本経済の苦境の影響の二つを実感することになったが、こうした経済面の退潮とは別の面での上げ潮が表れた。
 それは、この年4月から5月にナイジェリアで開催されたFIFAワールドユースでの日本代表の活躍だった。一次リーグを突破し、第2ラウンドに入ると、まずポルトガルと戦って1−1の後、PK戦で勝って準々決勝へ進み、メキシコを2−0で下し、準決勝ではウルグアイに2−1で勝利し、決勝に進んだ。
 世界大会での初めてのファイナルだったが、小野伸二を出場停止で欠いていたため、組立てができず、またミスもあって0−4で敗れてしまった。しかし小野、稲本潤一、中田浩二、本山雅志、高原直泰らの79年生まれの世代は、すでにその素材の確かさで注目されていた。そして、同年代の世界舞台で勝ち進み、銀という結果を得たことで、大きな自信につながることになった。
 前年秋に、日本代表チームの監督に就任し、4年後のワールドカップを目指すトルシエ監督にとっては、79年組の発見と、自らの指導による成果は、2002年の代表チームの構想を大きく前進させることになったはずだ。


60年代との相似

 ユース(U−20)という年齢は、2002年には23−24歳、いわば大人の体になり、技術も練れ、戦術眼と経験を積んだ絶頂期にかかる世代である。2歳上の中田英寿たち77年生まれと、この79年組の組合せが、2002年の主力になるだろう。
 1960年に来日して、64年の東京オリンピックに向かって選手強化に踏み出したデットマール・クラマーが、1940−44生まれの宮本輝紀、杉山隆一、小城得達、釜本邦茂、森孝慈たちの世代を指導し、徐々に新旧のメンバーを入れ替えて代表の主力とした(16人中11人)実例を見ている私には、トルシエ監督の着眼は、しごく当然のように見えた。
 79年世代の楽しさは、すでに私がG大阪で早くから見てきた稲本潤一のように体が大きく、ロングパスを楽に出せる者や、本山のようにスリムで早く、柔らかいドリブルのできる選手、小野のようにボールを素早く確実に止め、柔らかいタッチでキックできる者、などなど、一人ひとりに技術があり個性豊かなこと。それは、40年前の1940年代生まれの世代と共通するものがあった。新しい方は、その恵まれた環境で育ったおかげで、ボールを扱うことに慣れていることが大きかった。
 こうしたプレーヤーの輩出はもちろん、各年代の指導者たちの努力、特に若年層コーチたちが「個性を伸ばす」を、言葉だけでなく実際に感得していたからだとも言える。
 その技術力もあり、身体能力もそこそこ持っている若いプレーヤーたちに対し、トルシエが、時に感情を爆発させ(あるいは、爆発させたように見せ)、時に鋭い言葉で発奮させて戦う姿勢を持たせたというところが、また面白い。
 それもまた、60年代のデットマール・クラマーの「ヤマトダマシイ(大和魂)」と似ているからだ。


1999年(平成11年)の出来事
1月 第78回天皇杯は横浜フリューゲルスが優勝
   第77回高校選手権は東福岡が連続優勝
4月 FIFAワールドユース選手権で日本代表は1次リーグを2勝1敗で勝ち上がり、第2ラウンドでポルトガルをPK戦で破った。さらにメキシコとの準々決勝を2−0、ウルグアイとの準決勝を2−1で制した。決勝は小野が出場停止で、スペインに0−4で敗れたが、初の銀メダル
6月 南米選手権に特別参加した日本代表はペルー(2−3)パラグアイ(0−0)ボリビア(1−1)と1分け2敗


(週刊サッカーマガジン2002年5月29日号)

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