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【番外編】ドーハを思い起こす魔の2分間。その不思議の解明――

『このくに と サッカー』は、今回は番外編として、2006年ワールドカップ・ドイツ大会からの現地リポートをお送りします。

 ドイツ語で言う「アハテルフィナーレ(Achtelfinale)=8分の1決勝」は、どの試合も双方が一歩も引かぬ強い意欲を見せて激しいものだった。8試合を終わってみれば、準々決勝の顔ぶれはドイツ対アルゼンチン、イタリア対ウクライナ、イングランド対ポルトガル、ブラジル対フランス。
 この号が皆さんのお手元に届くころには、優勝チームも決まっているはずだが、ヨーロッパでの、それも中央部に位置するドイツでのワールドカップ2006は、欧州のサッカー国がグループリーグを勝ち抜き、これに人気の高いブラジルとアルゼンチンの2強が加わる形となった。スタンドのサポーターの声援にも伝統の味が出て、大会としてはまず満点に近い雰囲気だった。
 この息づまる16強の争いのなかに、ジャパンブルーの姿がないのは、まことに残念だった。結果を出しておけば、日本流サッカーを世界中に認めさせるチャンスだったのだから――。


小野伸二投入に期待したが……

 日本代表の試合を見て、まず驚いたのは中村俊輔の不調――。スコットランドでの1シーズンをフルに戦った疲れもあったのだろうが、これまで代表チームの柱の一人であった試合ぶりとは別人のようで、むしろ痛々しいほどだった。それでも中村のパスの力、FKへの期待があって、3試合とも働かなければならなかったのだろうが、中田英寿とともにチームの2枚看板ともいえる彼が調子を落としたことは、とても大きかった。
 それでも第1戦は83分まで1−0でリードしていた粘り強い試合のできる日本代表チームのはずだったが、残り10分を維持できなかった。その10分間のうち2分間が日本には魔の時間帯だった。
 79分に小野伸二が登場してきたとき、記者席で私は「これで勝った」と思った。
 暑さの中での激闘――はじめから飛ばし続けたオーストラリアも、それに対抗した日本側もくたくたの状態だった。このなかに入った新戦力の彼なら、一人で切り込んで点を取れる、ファウルがあってFKもあるだろう――と。
 しかし、そうはいかなかった。
 ここが第一の不思議だった。
 日本の攻撃を防ぎ、パスを奪ったオーストラリアが攻めて、日本はピンチになった。その危機をGK川口能活がファインセーブで防いだ。ここから第2の不思議が始まる。
 強いシュートを右(川口側からいって)へ飛んで防ぎ、そのリバウンドに駒野友一が素早く寄った。そして、このボールをすぐにタッチに蹴り出した。コーナーから数メートルのところだった。
 ちょうど、私の記者席のすぐ下のプレーだった。駒野が体をゴールに向けたまま反転して蹴り出すときに、やばいと思った。相手にはロングスローの武器があり、ノッポのFWが2人いるからだ。後方から誰も寄せてこないのだから「ゆっくり持て」とか「フリーだ」とかいう声が仲間から出たのか、出なかったのか、届いたのか、届かなかったのか、とにかく駒野は横に払うといった感じで蹴り出した。


駒野のクリアと川口の飛び出し

 予想どおり、ロングスローがきた。第3の不思議でGK川口は取れそうにないボールに向かってジャンプし、叩き出すことができず、ボールはゴール前に流れて、同点ゴールが生まれた。
 川口は相手側と仲間の身長差などから飛び出したのだろう――。気性の激しい彼は、自分がやらなければという強い意欲から飛び出して、失敗することがある。すごいセービングもするが、ときにポカもある。そのポカが出た。まさに魔の2分間だった(ポカの多かった西ドイツのマイヤーが、1974年大会でミスもなく奇跡的なセーブで西ドイツの優勝に貢献した例を知っているから、川口もいつか、この点は良くなると思っているが……)。
 同点ゴールで、オーストラリアは元気づいた。ヒディンク監督は韓国代表を2002年大会でベスト4に進出させたが、彼がまず着手したのは韓国選手の体力アップだった。今度のオーストラリアもそうだった。
 その力が息を吹き返した。
 日本はその後2点を失って、1−3。
 同点になってから、なぜ、もっと粘れなかったかということも考えなくてはならないが、私はこの魔の2分間を乗り切れなかったところに集約されていると思う。
 この2分間の一連の動きを、頭のなかで描いてみると、93年10月のドーハの悲劇の場面と似ているようにみえる。
 10年余を経て、日本選手はプロになり、上手になり、強くなった。ドーハのころより一段上のチームになっているはずだが、ワールドカップの場へ出てきて、したたかな相手と比べると、レベルは違っても、ドーハのときの幼さはまだあまり変わっていないのではないか――と思う。


玉田の左シュート

 1998年のフランス大会は3試合1得点で3敗、2002年は3試合で5得点して2勝1分けでベスト16に進んだ。その実績の上に立って、2006年には期待もあった。チームもアジア予選を突破してドイツまでやってきた。天候も気温も決して味方しなかった。日本の湿気の多い暑さは欧米人にはこたえるが、ドイツの湿気のない暑さは日本選手に酷だったはずだ。第2戦でFKを取られたとき、何人かがすぐ水のボトルを取りに走ったのがそれを象徴していた。
 クロアチアとの引き分けは、そういうコンディションのなかでの立派な戦いだった。
 対ブラジルでも玉田圭司の会心のゴールが、ブラジルの強さを引き出した点でまことに意味がある。この大会は欧州勢が強く、それだけに、体格、体力を生かそうとする「力づく」のプレーも多い。そのなかで、ブラジルと日本の試合はファウルも少なく、技巧的でスピーディーで、魅力ある展開だった。選手たちはよい経験を積んだ。なかには、このひのき舞台で自分の最高のプレーをつかみ、それを自分のステップアップにつなぐ者もいるだろう。
 玉田が三都主からのパスをクリーンシュートで決めたのは彼自身にも大きなプラスになるだろう。これまでの玉田のシュートは、たとえば左ポスト側にいたとき、ニアサイド(左ポスト側)を狙わず、ファーポスト側へ蹴っていた。左利きの選手なら、当然、ニアサイドとファーサイドの2つのコースへ決める力を持っていなければならない。
 それを玉田はこの大会でニアへ決めた。まだまだ精度の点で問題はあっても、こうした大舞台での経験は彼の才能を引き上げる力になるはずだ。
 32年前、1974年の西ドイツ大会の取材に来たときには、日本の人たちにスタジアムで出会うことはまことに少なかった。ジャパンブルーの人の群れをいま、ドイツで見るとき、日本のサッカーも大きく変わったとうれしくなる。
 1930年に日本代表が中華民国を相手に、自分たちの機敏性を生かすために始めた日本流のサッカーは、70年前の1936年に、ここドイツのベルリンでオリンピック初の1勝、それも強豪スウェーデンを破る快挙を遂げ、それが32年後のメキシコ・オリンピック3位につながった。
 プロが生まれ、世界のプロと伍してワールドカップに3度目の出場を果たしながら、内容はともかく、結果を出せないままに終わった。しかし、足場はできている。この次の挑戦を楽しみにしたい。


★SOCCER COLUMN

サッカー泥棒
 ブラジル戦の前に日本代表が泊まったのはヒルトン・ドルトムントという高級ホテル。実は私も分不相応にもここに1泊したのだが、シングルが405ユーロ(約6万円)のこの設備の良いところで盗難事件があった。
 試合当日、一般客の客室のドアをバールで壊し、ルーム内の貴重品入れのボックスを破壊して現金だけ(カードは盗らなかったとか)を盗んだ。それも2部屋だった。日本対ブラジル戦で、ホテル中がテレビに釘付けになっている間の犯行である。
 実はサッカーの試合時間中の犯罪は、映画のタネになることが多く、私も20年ほど前に見たことがある。90分間(正確には45分が2回)、警備員がサッカーに気を取られているすきに、泥棒が銀行の金庫破りをしたり、宝石を盗んだり――といった筋で、90分間(それより短くなることはない)にことを運ぶのがみそ。手順がとても面白かった。今回のは映画に比べると規模は小さいが、試合時間内ということで同じ発想。やはりドイツはサッカー国だと感じたが、そのうち日本でも増えるかも。


セキュリティーと牛
 テロ対策が最も重要で、そのための抜き打ち検査を度々している――とベッケンバウアー(大会組織委員会会長)が言っていたが、6月10日にミュンヘンからフランクフルトへのLH(ルフトハンザ)624便がこれにひっかかって、2時間半遅れた。搭乗機から乗客全員が降ろされ、手荷物のチェックをもう一度やり直すことになり、駐車場から空港ロビーに戻され、検査の後、再び同じ飛行機に乗り込んだ。乗務員に理由を尋ねても「ポリツァイ(ポリス)の要請」と言うだけ。多くの乗客は文句も言わず黙々とバッグを持って行き、開いて見せ、ボディーチェックを受けていた。テロと対峙するヨーロッパの姿の一つなのだろう。
 6月16日にニュルンベルクからシュツットガルトへ往復するとき、往路で列車が急停車した。警笛を鳴らしたから、ひょっとすると人身事故かと心配したが、アナウンスが「牛が2頭、線路上を歩いているので止まった」と告げ、車内から笑い声が上がった。線路に近い牧場からやってきたらしい。ただし停車時間は冷房が止まって、車内の暑かったこと――。
 旅にはトラブルがついて回る。線路上の牛のように悠々とゆきたいのだが――。


(月刊グラン2006年8月号 No.149)

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