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日本サッカー伝説
- 第1回日本フートボール大会「サッカーとラグビーが同居」
- 第1回日本フートボール大会「高校選手権の起源は大正7年に」
- 全日本選手権のはじまりは、英国から寄贈された銀カップ
- 大きなステップを踏み出した日本
- 大正末期、ビルマ人の指導で全国制覇
- 神戸一中のサイドキックとショートパス
- 昭和4年、個性的な甲子園南運動場の誕生
- 新装の南運動場での中学選手権
- 1930年極東大会「初の選抜ナショナルチーム」
- 1930年極東大会「猛練習と担当による精神統一」
- 1930年極東大会「完全に体を使い果たすまで...」
- 戦前一番のビッグゲーム「東西対抗」
- 1936年ベルリン・オリンピック「優勝候補スウェーデンと対戦」
- 1936年ベルリン・オリンピック「奇跡の逆転を生んだ近代戦術」
- 1936年ベルリン・オリンピック「派遣費を募金」
- 天皇杯のきっかけとなった天覧試合
- 1951年アジア大会「6競技で開かれた大会」
- 1951年アジア大会「国際経験不足が敗北の原因」
- 1951年、スウェーデンのヘルシングボーリュに学ぶ
- 1951年ヘルシングボーリュの来日「ベルリンの借りをかえそう」
- 1956年メルボルン・オリンピック「不安と期待の若返り策」
- 1956年メルボルン・オリンピック「韓国との死闘を乗り越え20年ぶりの出場」
- 1959年アジアユース「日本のスポーツ史上、高校生チーム初の海外遠征」
- 1959年アジアユース「過酷なスケジュールをこなし、堂々3位入賞」
- 日本サッカー界を改革した外国人伝道師デットマール・クラマーの来日
- クラマーの指導「ボール扱いは第一の関門」
- 1964年東京オリンピック「7ヵ月間の合同トレーニング」
- 1964年東京オリンピック「アルゼンチンに逆転勝利」
- 1964年東京オリンピック「44万人が生でサッカーの国際試合を観た」
- 1964年東京オリンピック「6万人の観客を酔わせたハンガリー対チェコの決勝」
- 多くの困難を乗越えて日本サッカーリーグ開幕
- 日本サッカーリーグ、東洋工業が初代チャンピオン
- 1966年第5回アジア大会「疲労の極致での戦い」
- 1966年第5回アジア大会「驚異的なタイのサッカーの人気」
- 1967年メキシコ・オリンピック予選「韓国との壮絶な点の取り合い」
- 1967年メキシコ・オリンピック予選「日本を救った杉山のシュート」
- アーセナルとの激闘と釜本のシュートに沸いた1968年5月
- メキシコ五輪出場に向けての海外遠征
- 1968年メキシコ・オリンピック「歴史は作られた」
- 1968年メキシコ・オリンピック「第1戦・対ナイジェリア」
- 1968年メキシコ・オリンピック「B組2位でベスト8進出」
- 1968年メキシコ・オリンピック「地元さえも味方にし、銅メダルを獲得」
- 1968年メキシコ・オリンピック「男たちが燃焼し尽くしたメキシコ五輪」
- 1968年メキシコ・オリンピック「チームワークが生んだ銅メダル」
- 第1回FIFAコーチング・スクール
- 日本サッカーリーグの創世記をリードした東洋工業
- 男たちの意地はサンフレッチェへ
- FIFAコーチング・スクールは世界最高水準の研修コース
- 釜本の復調でヤンマー初優勝の1971年
- 画期的だったヤンマーの日系人選手の採用
- ブラジルの至宝"キング・ペレ"の来日
- ペレの妙技に酔い、感動にふるえた国立競技場
- 1974年西ドイツW杯「レギュラー番組にW杯が登場」
- 1974年西ドイツW杯「決勝戦を深夜生中継」
- 10年目の日本リーグで前人未到の記録の誕生
- 1試合1得点ペースでの通算100ゴール
- 甲子園球場、西宮球技場での高校選手権
- 高校選手権が関西開催にサヨナラを告げた1976年1月8日
- 1979年ワールドユース「世界大会を日本で開催」
- 1979年ワールドユース「19歳のマラドーナに驚き、世界のレベルを知った」