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- 木曜日のボール By近藤 篤
- フランスで見る夢‘98W杯サッカー(2)半世紀の目 By平井 桂月
- サッカーの話をしよう 〜「ライブラリー」に刻む旅 若い世代の知的資産に〜 By大住 良之
- W杯がやって来る(2)〜発祥地・神戸で開催に意義〜 By産経新聞
- People 150 賀川浩「生まれ変わっても 〜すべての道はサッカーに通ず〜」 Byサッカーマガジン
- W杯 夢の大舞台に期待 〜伝わるか サッカー取材の興奮〜 By上杉 威彦
- 兄は社長に、弟は生涯一記者に 日本サッカーの指標となった大谷一二、四郎兄弟(上)
- 第53回 高橋英辰(1)70年代に“走る日立”を登場させ日本サッカーに世界を見せたロクさん
- 第1回日本フートボール大会「サッカーとラグビーが同居」
- 第1回日本フートボール大会「高校選手権の起源は大正7年に」
- 全日本選手権のはじまりは、英国から寄贈された銀カップ
- 大きなステップを踏み出した日本
- 大正末期、ビルマ人の指導で全国制覇
- 神戸一中のサイドキックとショートパス
- 昭和4年、個性的な甲子園南運動場の誕生
- 新装の南運動場での中学選手権
- 1930年極東大会「初の選抜ナショナルチーム」
- 1930年極東大会「猛練習と担当による精神統一」
- 1930年極東大会「完全に体を使い果たすまで...」
- 戦前一番のビッグゲーム「東西対抗」
- 1936年ベルリン・オリンピック「優勝候補スウェーデンと対戦」
- 1936年ベルリン・オリンピック「奇跡の逆転を生んだ近代戦術」
- 1936年ベルリン・オリンピック「派遣費を募金」
- 1936年ベルリン・オリンピック「右近徳太郎さんからの便り」
- 天皇杯のきっかけとなった天覧試合
- 1951年アジア大会「6競技で開かれた大会」
- 1951年アジア大会「国際経験不足が敗北の原因」
- 1951年、スウェーデンのヘルシングボーリュに学ぶ
- 1951年ヘルシングボーリュの来日「ベルリンの借りをかえそう」
- 1956年メルボルン・オリンピック「不安と期待の若返り策」
- 1956年メルボルン・オリンピック「韓国との死闘を乗り越え20年ぶりの出場」
- 1959年アジアユース「日本のスポーツ史上、高校生チーム初の海外遠征」
- 1959年アジアユース「過酷なスケジュールをこなし、堂々3位入賞」
- 日本サッカー界を改革した外国人伝道師デットマール・クラマーの来日
- クラマーの指導「ボール扱いは第一の関門」
- 1964年東京オリンピック「7ヵ月間の合同トレーニング」
- 1964年東京オリンピック「アルゼンチンに逆転勝利」
- 1964年東京オリンピック「44万人が生でサッカーの国際試合を観た」
- 1964年東京オリンピック「6万人の観客を酔わせたハンガリー対チェコの決勝」
- 多くの困難を乗越えて日本サッカーリーグ開幕
- 日本サッカーリーグ、東洋工業が初代チャンピオン
- 1966年第5回アジア大会「疲労の極致での戦い」
- 1966年第5回アジア大会「驚異的なタイのサッカーの人気」
- 試合場と練習場
- 1967年メキシコ・オリンピック予選「韓国との壮絶な点の取り合い」
- 1967年メキシコ・オリンピック予選「日本を救った杉山のシュート」
- アーセナルとの激闘と釜本のシュートに沸いた1968年5月
- メキシコ五輪出場に向けての海外遠征
- 1968年メキシコ・オリンピック「歴史は作られた」
- 1968年メキシコ・オリンピック「第1戦・対ナイジェリア」
- 1968年メキシコ・オリンピック「B組2位でベスト8進出」
- 1968年メキシコ・オリンピック「地元さえも味方にし、銅メダルを獲得」
- 1968年メキシコ・オリンピック「男たちが燃焼し尽くしたメキシコ五輪」
- 1968年メキシコ・オリンピック「チームワークが生んだ銅メダル」
- 日本サッカーリーグの創世記をリードした東洋工業
- 第1回FIFAコーチング・スクール
- 男たちの意地はサンフレッチェへ
- FIFAコーチング・スクールは世界最高水準の研修コース
- 釜本の復調でヤンマー初優勝の1971年
- 「5・3・2」も結構やけれど 各選手の分業化を考える時期
- 画期的だったヤンマーの日系人選手の採用
- シューターは“孤独になれ” ボールを持った者が主で、周りは従だ
- PKは低く蹴れ! ユース日韓戦、日本の敗因をつく
- スタミナを浪費するな! ホットスパー戦の教訓
- クラマーからの脱皮 自分で考え、自分で工夫することが大事なのだ
- サッカー選手に欲しい素質 “外から見える素質”と“見えざる素質”
- 30年間早大を鍛えた鬼監督 工藤孝一氏の思い出
- サッカーの極意は選手が掴むもの ソウルでの敗因を探る
- ブラジルの至宝"キング・ペレ"の来日
- ペレの妙技に酔い、感動にふるえた国立競技場
- ヤンマーの個性 日本代表との差はどこにある
- 選手をおだてる時代は終った 若手の活躍は釜本、小城らに支えられてのもの
- 五輪アイスホッケーに学ぶ サッカーのフィルターを通して見た共通点
- 1974年西ドイツW杯「レギュラー番組にW杯が登場」
- 1974年西ドイツW杯「決勝戦を深夜生中継」
- 10年目の日本リーグで前人未到の記録の誕生
- 1試合1得点ペースでの通算100ゴール
- 大いに見聞を広めよう
- 貧乏旅行の苦労と楽しさ
- ハプニング
- ドイツの大歓迎
- 民泊の話
- ドルトムント大会 その1
- ドルトムント大会 その2
- ドルトムント大会 その3
- ドイツからスウェーデンへ
- スウェーデン 〜その1 大敗の巻〜
- スウェーデン 〜その2〜
- 文なしパリ見物
- ベルギーで悔いを残す
- 初めて観る本場のプロ試合
- 日本のサッカーを強くするカギ 今の選手は練習量が足りなすぎる
- 強くなるためにはドリブルをマスターせよ 1日最低2時間の練習は必要だ
- 日本サッカー英国で初めての試合
- プロと対戦する意義は何か
- 英国からスイスへ
- ジュネーブ スイス その1
- 千差万別のスイングの中に基本がある
- 技を磨けば心も磨ける 心を磨けば技も磨ける
- ユングフラウを楽しむ スイス その2
- 日本チームに欲しい発想の転換
- ベオグラードの印象 ユーゴ その1
- ケガの恐怖を除くドリブル練習
- 若い選手はメルヘンを持とう
- 甲子園球場、西宮球技場での高校選手権
- 高校選手権が関西開催にサヨナラを告げた1976年1月8日
- 存分に戦って好ゲーム ユーゴ その2
- 再びローマを訪ねて
- サッカーの何を見たか その1
- 日本サッカーの歴史は関東、関西の対立で始まった
- ベルリンでのGK佐野理平氏の神ワザの秘話
- サッカーの何を見たか その2
- 高校大会にこつ然と現れ消えた幻のストライカー
- サッカーの何を見たか その3
- 旧制の全国高等学校大会は青春の気迫を現す場だった
- サッカーの何を見たか その4
- 宿命のライバル韓国の名プレーヤーたち
- サッカーの何を見たか その5
- サッカーの何を見たか その6
- なぜ日本選手は接触プレーを避ける ベルリン以後の3FBとの違い
- サッカーの何を見たか その7
- 守りを分散させたオールド・ファッションの3ウィング
- HBのポジションと有馬、宮田の存在
- 戦前の代表的ストライカー 二宮洋一とボク自身……
- 戦前の代表的ストライカー 二宮洋一とボク自身……(続)
- メルボルン五輪大会で印象に残ったソ連・ブルガリア
- シベリア抑留の頃、我がサッカー不毛時代
- 釜本邦茂「ワールドカップへの挑戦 シュートのポイントを設定する」
- 大阪に招致した東京五輪の5−6位決定戦
- vs八重樫茂生 優秀な選手はボールを持ったら安心するものだ 〜すべての環境が整っているのになぜ日本は強くならないのか〜 <new!>
- vs鬼武健二 海外遠征の好成績が心に甘さをつくった!! 〜不調の最大の原因となったコンディション調整の失敗とゾーンディフェンスの問題点〜 <new!>
- vs渡辺正 日本サッカーは当面の目標を打倒韓国に絞るべきだ 〜ゴール前のスペシャリストといわれたガッツマンが語る現在の日本サッカー〜 <new!>
- 若手登場の全日本に希望あり
- 重要なのは体力よりもセンスだ
- “欧州”へ行けばうまくなれるのか
- 相手に勝つための工夫と分析
- 日本リーグ、PK戦採用と攻撃的サッカー
- 「年齢制」の意味 技術の向上と組織・運営
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- さらにタイミングについて
- なぜパスが不正確なのか
- インステップキックが基本だ
- インステップのインサイドとアウトサイド
- 実戦的ストップについて
- さらに実戦的ストップについて
- ドリブルを十分に楽しもう
- ドリブルの“つぼ”
- ドリブルでの戦術的要請 <new!>
- 続・ドリブルでの戦術的要請 <new!>
- ドリブルの使い方 <new!>
- 一対一の守り その1
- 一対一の守り その2
- 一対一の守り その3
- 1979年ワールドユース「世界大会を日本で開催」
- 1979年ワールドユース「19歳のマラドーナに驚き、世界のレベルを知った」
- コーチへの助言 その1
- コーチへの助言 その2
- 日本のスポーツの特異性 その1
- 日本のスポーツの特異性 その2
- 年齢制の競技会
- 加藤正信先生のこと
- 神戸フットボールクラブ 20年のあゆみ
- 私の天皇杯(第26回)
- あるスポーツ記者の回想 〜クラマー、釜本邦茂、そして神戸一中のこと〜 By富樫 洋一
- 賀川浩「サッカーは世界とつきあう窓やね」 By田中J太郎
- サッカー人生はや半世紀 〜74年W杯から全大会を取材・賀川浩さん〜 By武智 幸徳
- 素晴らしきサッカー仲間たち
- 兄は少年野球の三振奪取王
- 野球からサッカーへ
- メキシコの星、また一つ消え… 特別編 宮本輝紀を悼む
- 現場を好んだ技術史の"生き証人" 特別編 ロクさん、高橋さん
- 大正末期のショートパス(1)
- ドリブルの名手、去る 特別編
- 大正末期のショートパス(2)
- ショートパス開花と天性のストライカー 特別編
- 大正末期のショートパス(3)
- 昭和初期のレベルアップ(1)
- 昭和初期のレベルアップ(2)
- 昭和初期のレベルアップ(3)
- 昭和初期のレベルアップ(4)
- 昭和初期のレベルアップ(5)
- 昭和初期のレベルアップ(6)
- ベルリン・オリンピック そのあとさき(1)
- ベルリン・オリンピック そのあとさき(2)
- ベルリン・オリンピック そのあとさき(3)
- ベルリン・オリンピック そのあとさき(4)
- 大戦争前の光彩(1)
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- 大戦争前の光彩(10)
- 大戦争前の光彩(11)
- 番外編 75歳の入院、手術初体験
- 大戦争に直面して(1)
- 大戦争に直面して(2)
- 番外編 もうやめにしたい“予選リーグ”と“決勝トーナメント”
- 大戦争に直面して(3)
- 大戦争に直面して(4)
- 大戦争に直面して(5)
- 大戦争に直面して(6)
- 大戦争に直面して(7)
- 大戦争に直面して(8)
- 番外編 20世紀の終わりに
- 戦後の混乱と復興期に(1)
- 戦後の混乱と復興期に(2)
- 戦後の混乱と復興期に(3)
- 番外編 再び決勝トーナメントの話
- 神戸のサッカー 【日本語版】
- Football in Kobe【英語版】
- 番外編 鹿島の優勝に創設J参入の決断を思う
- 戦後の混乱と復興期に(4)
- 戦後の混乱と復興期に(5)
- 戦後の混乱と復興期に(6)
- スポーツ記者になって(1)
- スポーツ記者になって(2)
- スポーツ記者になって(3)
- 番外編 ヤンマーサッカーの生みの親 山岡浩二郎さん
- スポーツ記者になって(4)
- スポーツ記者になって(5)
- スポーツ記者になって(6)
- スポーツ記者になって(7)
- スポーツ記者になって(8)
- 番外編 2001J開幕2週間 横浜と高知での喜び
- ローマ、東京、メキシコ(1)
- ローマ、東京、メキシコ(2)
- 番外編 フランス戦の教訓から
- ローマ、東京、メキシコ(3)
- 番外編 スペイン戦、痛い1本のパスミス。なお必要なキック力アップ
- ローマ、東京、メキシコ(4)
- ローマ、東京、メキシコ(5)
- ローマ、東京、メキシコ(6)
- ローマ、東京、メキシコ(7)
- ローマ、東京、メキシコ(8)
- ローマ、東京、メキシコ(9)
- 番外編 コンフェデレーションズカップうちそと
- ローマ、東京、メキシコ(10)
- ローマ、東京、メキシコ(11)
- ローマ、東京、メキシコ(12)
- 番外編 キリンカップとコンサドーレ札幌の練習場
- ローマ、東京、メキシコ(13)
- ローマ、東京、メキシコ(14)
- ローマ、東京、メキシコ(15)
- ローマ、東京、メキシコ(16)
- ローマ、東京、メキシコ(17)
- ローマ、東京、メキシコ(18)
- ローマ、東京、メキシコ(19)
- ローマ、東京、メキシコ(20)
- ローマ、東京、メキシコ(21)
- メキシコの余韻の中で(1)
- メキシコの余韻の中で(2)
- メキシコの余韻さめて
- 世界の“常識”を求めて(1)
- 世界の“常識”を求めて(2)
- 番外編 ラモス瑠偉のトーク。兵庫協会のフォーラム
- 世界の“常識”を求めて(3)
- 番外編 高い位置でのプレスに日本代表5年の積み重ね
- 世界の“常識”を求めて(4)
- 世界の“常識”を求めて(5)
- 番外編 今年のトヨタカップ。大損となったデルガドのファウル
- 世界の“常識”を求めて(6)
- 世界の“常識”を求めて(7)
- 世界の“常識”を求めて(8)
- 世界の“常識”を求めて(9)
- 世界の“常識”を求めて(10)
- 世界の“常識”を求めて(11)
- 世界の“常識”を求めて(12)
- 世界の“常識”を求めて(13)
- 世界の“常識”を求めて(14)
- 世界の“常識”を求めて(15)
- 世界の“常識”を求めて(16)
- 世界の“常識”を求めて(17)
- 世界の“常識”を求めて(18)
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- 世界の“常識”を求めて(20)
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- 世界の“常識”を求めて(28)
- 阿部勇樹 「右足が扉を開く」
- 大久保嘉人「原点に帰れ」
- ニューイヤーズ・ドリームに思う 〜夢を追いかけ続けた兵庫サッカーの先人たち〜
- 楢崎正剛「不動心」
- 兵庫サッカーとわたし 〜村田忠男会長に聞く〜
- 神戸サッカー物語 vol.1
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- 【番外編】日本代表 キリンカップでの2発
- 【番外編】アジアカップ2007より せっかくの“走る”を生かすためには…
- 【番外編】大久保嘉人 エジプト戦で前田とともに輝いた天性のストライカー
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- 【番外編】U−23日本代表 米国戦の失点から――決定機をつくるドリブル効果
- 釜本邦茂(1)W杯の実績はなくとも世界から高い評価を受けたメキシコ得点王
- 釜本邦茂(2)高1、16歳の、ヒョロリとして、何とも言えぬ魅力を秘めていた日本代表の得点記録ナンバーワン
- 釜本邦茂(3)17歳、高2でデットマール・クラマーと衝撃の出会い“北海道のクマのままじゃない”
- 釜本邦茂(4)早大1年から大学リーグ得点王。長期合宿で鍛えて、20歳でオリンピック代表CFに
- 【番外編】森島寛晃 守から攻への鋭さと、展開の大きさを小さな体で表した稀有なセカンドストライカー
- 釜本邦茂(5)東京からメキシコへ。代表でもまれ、大学リーグで実証。62年大会得点王も推奨した伸び盛りの時期
- 釜本邦茂(6)超過酷、アジア大会で3位。大学最後の天皇杯勝者となった22歳
- 釜本邦茂(7)弱者を強者への決意でJSL最下位ヤンマーへ。67年開幕戦デビューで2得点
- 釜本邦茂(8)JSLヤンマーを最下位から5位へ、メキシコ・オリンピック予選突破。上昇続く23歳
- 人の話を聞き、人を働かせ、自らも労をいとわぬ気配りの名手。日本サッカーの大功労者、長沼健さんを偲んで
- 釜本邦茂(9)68年1月13日、西ドイツへ単身留学。“ジョージ・ベストに匹敵”と2ヶ月後、豪州から届く称賛
- 釜本邦茂(10)自らストライカーであったデアバルコーチとのマンツーマン。休養とサッカー漬けの2ヶ月で脱皮
- 釜本邦茂(11)名門アーセナルのお株を奪う「アーセナル・ゴール」。メキシコ五輪へ着々と
- 【番外編】平木隆三さんを偲ぶ 東京、メキシコの栄光を支え、コーチ育成組織をつくり、天皇杯を改革し、発展の基礎を築いた
- 【番外編】大迫勇也とメキシコ得点王 しなやかで強い体と抜群のシュート力を成長期に懸命に、順調に伸ばした
- 釜本邦茂(12)オデッサでの35mシュート、ボルシア・MGからもゴール。進歩の証を重ねてメキシコへ
- 釜本邦茂(13)メキシコ五輪B組第1戦、ナイジェリアを相手にハットトリック
- 釜本邦茂(14)メキシコ五輪B組、対ブラジル。ヘディングパスで渡辺正の同点ゴールを生み出す
- 釜本邦茂(15)メキシコ五輪第3戦「点を入れたらアカン」シュートを外して○印のサイン
- 釜本邦茂(16)メキシコ五輪で突破シュートと胸でトラップからのシュート。フランスを破ってベスト4へ
- 釜本邦茂(17)68年オリンピック3位決定戦、開催国メキシコ相手に2ゴール
- 釜本邦茂(18)メキシコ五輪3位決定戦。試合後にベッドへ倒れ込んで動かず、死力を尽くしたイレブンにクラマーも感動
- 釜本邦茂(19)メキシコ銅メダルでJSLは観客増となり、ファンは満足と幸福感に酔う
- 釜本邦茂(20)病で消えたW杯のユメ。それでも衰えぬゴールへの意欲で円熟へ向かう
- 釜本邦茂(21)肝炎から立ち直った第2黄金期。国内外で演じたビューティフル・ゴール
- 釜本邦茂(22)36歳、監督兼任ストライカーで優勝。クライフ、プラティニらと世界選抜チームに
- 釜本邦茂(23)1981年11月1日、JSL200ゴール達成。82年アキレス腱損傷。だが故障に負けての引退はしない
- 釜本邦茂(24)ペレとオベラートの友情参加。満員の国立競技場、引退試合でも先制ゴール
- 79年前に初のアジア王者となった日本代表ゴールキーパー 斎藤才三(上)
- 釜本邦茂(25)ガンバ初代監督、国会議員、JFA副会長。夢はストライカー育成に
- 【番外編】岡崎慎司 最終予選6月シリーズから、粘っこさと長走と修羅場への取り組み。岡崎慎司と2つのゴール
- 【番外編】W杯アジア予選から 今野泰幸の2つのチャンス、パスかシュートか。「ワンタッチで試合を変える」面白さを味わう
- 【番外編】日本代表欧州遠征、オランダ遠征を見て
- 【番外編】日本代表欧州遠征、第2戦ガーナ戦から
- 【番外編】日本代表親善試合スコットランド戦
- 【番外編】日本代表の進化とヴィッセルU−15の初優勝に思う
- ラウル・ゴンサレス(13)銀河系レアルに、またまた超人気のベッカム加入。戦力マケレレ去って低迷へ傾く
- ラウル・ゴンサレス(14)2009「エル・クラシコ」。イブラヒモビッチの“異質効果”と30回目、ベテランの戦う姿勢
- ラウル・ゴンサレス(15)04〜06年の低迷“銀河系”。ファンニステルローイの加入で上向きに
- 田辺五兵衛とともに桃山中学をトップに、ゴットンとともに関学を関西ナンバーワンに。昭和初期の日本一のGK 斎藤才三(中)
- 関学を日本一に、極東大会で日本をアジア一に、大会主催社の記者として珠玉の批評を残した 斎藤才三(下)
- 友人の遺志を継ぎ、停滞期の日本サッカーのなかで赤字体質を改革。第5代JFA会長 平井富三郎(上)
- 登録制度の大改革、年齢別区分と個人登録。JFA財政建て直しを指導した第5代JFA会長 平井富三郎(下)
- 世界のサッカー国を相手に銅メダル獲得。メキシコ五輪の地味なヒーロー 鎌田光夫(上)
- 本番の1年前、ブラジルのパルメイラスを相手の守備戦術のシミュレーション。メキシコ銅メダルのヒーロー 鎌田光夫(中)
- 片山、山口、小城たちとともに粘り強い守りで銅メダルの栄光をつかんだ冷静なスイーパー 鎌田光夫(下)
- 神戸FC 40周年記念おめでとう 〜40年前の先見性を噛みしめつつ、100周年の夢を考えましょう〜
- 「坂の上の雲」の時代を身近に感じる85歳と語り合う歴史物語
- 対カメルーン、労を惜しまぬ動きと36年、30年代表に見る日本サッカーの原点
- 始まりは明治初期の英国海軍。極東大会敗戦が熱中期へのきっかけ
- 英国大使館の助力で関東大会開催。FAからの銀盃寄贈がJFA創設を促進
- JFA初代会長、今村次吉は不忍池周回競争の裸足のランナー
- 89年前の「天皇杯」第1回大会。優勝の東京蹴球団にFA銀盃
- 2競技開催の日本フートボール大会。常勝・御影師範
- 全国優勝大会の大正末期の技術進歩。ドイツ捕虜との交流で進化した広島
- 大正末期日本サッカーの技術進化に貢献したビルマ人留学生チョー・ディン
- 90年の歴史の中でのアルゼンチン戦初勝利と韓国との0−0
- スコットランド流のパスゲームを強調したチョー・ディンの指導
- 好評の全国巡回コーチで日本サッカーの技術革新につなげた
- 1927年第8回極東大会、チョー・ディンの弟子たちが初勝利
- 昭和初期の日本サッカー技術力アップのリーダーとなったチョー・ディンの弟子たち
- 広島、神戸、名古屋、各地各様の伏流がやがて日本代表へJFA創設からの急速進化
- 1930年第9回極東大会のために初の選抜代表チームを編成したJFA
- 「極東」で勝ち、オリンピックに向かうため JFAの改革と代表の体力キャンプ
- 小兵のストライカー、手島をはじめFWは東大の5人が並ぶ
- ラウル・ゴンサレス(16)ケガと不調の04〜06シーズンを脱し、新しい銀河系でのその協調力発揮に期待
- 東京五輪直前に19歳で抜擢。1対1の強さに“すっぽん”といわれたDF 山口芳忠(上)
- 密着マークでベスト4と銅メダルの栄光を生み、王様ペレに食いついてその本領を引き出した“すっぽん” 山口芳忠(中)
- ペレの「生涯最高のゴール」日本中に感銘を残すプレーを引き出した 山口芳忠(下)
- メキシコ五輪銅メダルチームを支えた右フルバック 片山洋(上)
- ソ連、欧州ツアーで腕を磨き、ひたむきに東京五輪を目指した日本代表DF 片山洋(中)
- メキシコ五輪で1対1の粘り強さで各国チャンスメーカーを封じた右DF 片山洋(下)
- 古希を前に、なお現場に立つメキシコ五輪銅メダリスト 松本育夫(上)
- 東京五輪代表漏れの挫折を東洋工、右サイドのプレーで克服。メキシコ五輪での銅につないだ 松本育夫(中)
- 爆発事故の死線を越えて。J2サガン鳥栖でも明るく闊達な指導 松本育夫(下)
- ベルリンの栄光を味わい戦後の日本サッカー復興期を支えた実力者 小野卓爾(上)
- 日本サッカー殿堂入り。多くのお祝いメッセージありがとう。ちょっと嬉しく、少し気恥ずかしい85歳の本人から 賀川浩
- 東京とメキシコの成功を将来に備えたFIFAコーチングスクールやJFAと中央大学の発展と基礎を築いた“実力者” 小野卓爾(下)
- 「快走、好走、好連絡」でフィリピンを大破 初のハットトリックも
- 手島と篠島の働き、死力を尽くした竹腰 劇的な対中華民国3-3ドロー
- 死力を尽くして東アジア1位獲得 昭和5年代表に悲運のロス五輪
- 極東1位を足場に充実をはかるJFA
- 政治問題が代表の一体化に影を落とし、上昇日本に「蘭印」の強パンチ
- 77年前のマニラでの警告を受け止め 2年後のベルリンを目指し個人力アップ
- 【番外編】歴史に残る対韓国1点目のゴール 力強いプレーと細かな気配りのパス
- さあベルリンを目指そう 早大に新しいストライカー、川本
- 選抜よりもナンバーワン早大主力に 攻撃力のある代表を36年ベルリンへ
- 東伏見で一人ボールを転がしつつ 猛練習にも耐え、力をつけた川本泰三
- ベルリン到着後、新知識を吸収し、 3FB制を採用、いよいよ対スウェーデン
- 前半に0-2、絶望的な流れを 敏捷性と休みない活動で「ベルリンの奇跡」
- 【番外編】東北、関東大震災に思う サッカー人生と神戸の水害、空爆、地震
- スウェーデン戦に力を使い果たし イタリアの技と力に大敗
- 本番での一勝だけだったが、 次への大きなステップとなった
- 日本的組織プレーとストライカー 30年と36年の成功の理由
- 五輪代表の進化を「東京」への始動 早慶の充実でサッカー人気が向上
- オットー・ネルツのフスバルをバイブルに 東大、早大を追う慶應の初代主将濱田諭吉
- 40年「東京」を目指す日本代表の腕試し 38年、対イズリントン・コリンシャンズ
- 「東京」を2年後に控え、早慶の連合FWで 英国アマの強チームに4-0
- 【番外編】ACL初参加セレッソの前進と3強の敗退 問われる運動量と競り合いの意欲
- 東京五輪返上でも近代化進み、 中学チームも3FB、CF二宮も成長
- 松丸 慶應は無敵の王者 情勢悪化の中で進化は続く
- 戦前のU-17全国中等学校選手権 1935年「夏」への移行
- 全国中学選手権に朝鮮代表が参加 ベルリン以後の進化を示す
- 神戸一中vs崇仁商業に見る 戦前黄金期のU-17
- 【番外編】75年前の伝説の地ドイツで なでしこジャパンが新たな歴史をつくる
- 【番外編】90年の日本サッカーの歴史の最高の勝利 諦めない心をゴールに結びつけた高い技術
- 全国中学校選手権で 目立つ朝鮮地方代表と神戸一中
- 青山師、修道、普成、神戸一中 4強が争った開戦直前の明治神宮大会
- 【番外編】22歳、香川真司の成長に目を見張り ゴール前の落ち着きと決定力に喝采
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- 昭和天皇の「予想外」のお言葉に感激 天皇杯につながる47年4月3日
- 【番外編】環境激変の中でのなでしこ予選突破 本田抜きでのサムライ・ブルーの進化
- 当用漢字制定で蹴球がサッカーに ロンドン五輪不参加も、明日に備え合同合宿
- 敗戦国日本のスポーツを活気づけた 第1回アジア競技大会実現
- イランとの2日激闘に敗れ 戦争のブランクの大きさを知る
- 60年前、来日スウェーデンチームが もたらした驚き、世界潮流
- 力強さから技巧へ変化した スウェーデンに衝撃を受ける
- 1952年ヘルシンキ・オリンピック マジックマジャールに見る世界の変化
- 若者たちにヨーロッパを感得させた 画期的な53年国際学生スポーツ週間への参加
- 53年FISU大会国際試合の大健闘 オッフェンバッハとの対戦が陰の力に
- ドルトムントで6位、ロンドンで試合 欧州で見聞を広めた現代のリーダーたち
- ピョンヤンの戦いの57年前 東京で2試合開催、日韓のW杯予選
- 大統領の檄を背に韓国代表が大勝 57年前の日韓初戦悪条件下の決行に
- 優勢に戦いながら勝てなかった第2戦 半世紀に及ぶ日韓対決の歴史を予感
- 第2回アジア大会、日韓戦の反省を背負い 挽回を目指した日本代表だったが…
- 【番外編】近づくワールドカップ本番。走ることも、パス攻撃も、点を取ること、防ぐことが第一 〜85歳サッカー人のはるか昔の素人経験から〜
- 【番外編】パク・チソンの突破とゴール。故障者続出の日本代表、本番へ向ってのここからが正念場 〜W杯まで3週間。日韓戦を見て〜
- 最終回【番外編】闘莉王の復帰と適役・阿部の成功で元気を取り戻した代表に期待 〜イングランド戦から〜
- 長い歴史とトヨタの先見をバックに花開いたピクシーと仲間たち。次は世界のビッグクラブへ
- 84年前に中華民国から1ゴール。兵庫、関西の協会長、神戸FC会長として少年育成に尽くした明治生まれのリーダー 玉井操
- 左利きの本田圭佑の進化から。俊足、バネのある体で人気のあった草分け的レフティー 加納孝(上)
- 大戦中にもサッカーを続け、戦後の復興期に活躍。テレビで見せたかった“弾丸的”飛び込み戦中派レフティー 加納孝(下)
- 世界の仲間とともに苦難の人たちへ心を届けよう ――東北関東大震災に思う――
- 自らもオリンピック、ワールドカップで働き日本の審判のレベルアップに尽くした 丸山義行(上)
- 国際試合60試合で審判を務め、中央大学のコーチ、監督を半世紀。傘寿のいまも試合に足を運ぶ 丸山義行(下)
- 1950年代に全国実業団6連勝94戦無敗の田辺製薬の守りの柱 宮田孝治(上)
- 中等学校選手権大会で無失点優勝 天覧試合に3度出場した戦中派“マケレレ” 宮田孝治(中)
- 34歳で4日連続試合 現役を退いた後も16年間、チームを指導 老舗企業チームの最高の師表 宮田孝治(下)
- 日本サッカーを応援、バックアップした FIFA会長 サー・スタンレー・ラウス(上)
- 東京オリンピック5、6位決定 大阪トーナメントをバックアップした 第6代FIFA会長 サー・スタンレー・ラウス(中)
- インドネシアに初戦で完敗 新興国の向上の早さに後れをとる
- 日本が半世紀前に学んだ 第1回FIFAコーチング・スクールを開催 サー・スタンレー・ラウス(下)
- 温かい人柄とユーモアで世界をリードし日本を励まし、助けた第6代FIFA会長 サー・スタンレー・ラウス(続)
- ベルリンの奇跡の日本代表 闘志あふれるDFで理論派監督 堀江忠男(上)
- 早大の連覇に貢献しマニラでの敗戦から日本の課題を鋭く指摘 堀江忠男(中)
- 2FBから3FBへの本番直前の大転換に成功 ベルリンの奇跡をつくったディフェンダー 堀江忠男(下)
- 学生サッカーと選手を愛し続け 写真を撮り、選手に送り続けた大学教授 フィリップ・カール・ペーダ
- 第2列からの軽快な飛び出しで スウェーデンを切り裂いたベルリン五輪代表 加茂 健(上)
- ドイツの批評家を驚かせたベルリン五輪代表FW 疾走中の見事なボール処理 加茂 健(中)
- 先人を師と称える日本サッカー殿堂入り 奥寺康彦